ドラキュラは吸血鬼であり吸血鬼はドラキュラである、というくらいに有名なドラキュラだが、その実、もとの話は知らない。
吸血鬼を扱う創作物は多いが、いずれにせよ、そこには高い確率でドラキュラがおり、その場合は常に、神祖だとか王だとか、そういう至高のポジションにあるようなイメージだ。
で、その古典、ザ・オリジナルを読んでみた。
タイトルがずばり「吸血鬼ドラキュラ」。
なかなか・・・手応えあったよ。
1897年の作品ということだから、随分と古い。100年以上前だよ。現在は21世紀だというのに19世紀に書かれた小説。
カビ臭え。
・・・かと思いきや。
実は、最初に手にとった時に、訳本の出版年である1972年を原作の出版年となぜか勘違いしてしまい、「古典と思ってたけど結構最近の話なんだ」と思ったまま、読み終わるまでその勘違いに気付かなかった。つまり、それくらい、十分にエキサイティングだということだ。
全編が、登場人物の日記や手紙、電報その他の記録によって構成されているという面白い構成。
最初のうちは、英国の若き弁理士ジョナサンの日記がひたすら続く。希望に満ちた出張の旅が狂気に染まっていく様が見所だ。本の厚さのわりに進行が早いな、と思っていたら、その後、別の街、別の人間の語る話によって、トランシルバニアからロンドンに忍び寄る吸血鬼の影が徐々にその輪郭を顕して行く。
で、いったいどうなるのか、まさか波紋で闘うわけでもないだろうなあ、と思っていたら、登場するのがヴァン・ヘルシング博士だ。
これが渋い。爺なんだが、活気があり、慈悲があり、そして何より叡智がある。ある意味ガンダルフ的だ。萌えはないけど惚れる。
ドラキュラ伯爵は、怪力であり、気象を操り、人を操り、変化しと、その異能の力はいろいろ描写されるが、ヴァン・ヘルシングとジョナサンおよび愉快な仲間たちとの格闘シーンは少ない。
そのあたりは、まあバトル系メディアミックス小説などではないから仕方ないけどちょっと残念。
また、3人の美女吸血鬼がほとほと端役で、最期の描写もあっけないのも残念かなあ。これでは、映画で言ったらサービスカットのポロリのためだけに出てくるような存在に近い。
とは言え、たかだか1冊の文庫本のくせに道理で読むのが大変だと思ったら、最近のものより字が小さいようで、ページ数も500頁を超えるから、実際長かったみたい。1冊で一息に読むには、そういうオプション要素はあっさりせざるを得ないか。これ以上長かったら、さすがに気力が持たない。いっそ、5冊くらいでそれぞれ1本の長編になるくらいならそれはそれでアリかも知れないが。
しかし、何にせよ、思っていたより全然ハードで緻密な物語で、面白かった。
ところで、吸血鬼と闘う英国紳士のジョナサンには心当たりがあるが、なんというか、なるほど、ロマンホラー!真紅の秘伝説と言いたくなるような素地があると、読みながら感じた。この世界観に、より強烈な生命力を注ぎ込み、そこに荒木的化学変化が生じると、あんなんなるかなあ、と。
最初にジョナサン達に隠れ家を襲撃された際に、吸血鬼は言う。
「(前略)この俺に邪魔立てひろぐ気か?屠所の羊にさも似たる、その青ちょびれた面を並べ、どいつもこいつも後悔するな。(以下略)」
ああ、こんなところにもオマージュが。そういう発見があるのもまた面白かったり。
カエルの小便よりも………下衆な!
下衆な波紋なぞをよくも!よくもこのおれに!
いい気になるなよ!KUAA!
てめえら全員亡者どものエサだッ!青ちょびた面をエサとしてやるぜッ!