…えー。
すげえ久々に更新します。
と言っても、ブログはいくつか作ってあるので、毎日とは言わずともちょいちょい更新している。ただ、このブログの位置づけが、なんかこう、マニアック…と言うのはオブラートに包み過ぎているからもっと直截に言えばオタくさい内容を投稿したい場合のエスケープゾーンと言うか掃き溜めというかになっているという実情がね。
身内に絶対バレちゃいけない、とか思ってないんだけど。家族からも職場からも、ぱっと見は違っても属性は確実にオタクだと看破されてるし。すでに。まあ、いいや。本題に入ろうか。
プリキュアだよ。
名前だけは昔から知っていたが、これといった興味はなかった。娘が生まれて何度か見たが、知らないうちにシリーズ変わってるなあ、くらいだったし。が、娘が3歳になって興味を持ったために、連続して見たら、突然に「こんな素晴らしいアニメはそうそう無い」という評価に変わってしまったのだ。
あくまでも女児、幼児が楽しめる範囲内という制約、玩具メーカーの事情を汲まねばならない制約、そういった数々の縛りの中で、妥協するところは妥協しつつも可能な限りの良質な物語を…くどいが、未就学女児向けという大前提を踏み外さずに追求しようとするクリエイタースピリットに目頭が熱くなることもあるし、それはそれとして物語や演出も良い。
可憐な少女のひたむきな姿というのは、美術館や博物館にでも行けばわかるように、いつの時代にも…それこそ紀元前から人類において、洋の東西を問わず、普遍的な価値を有しているわけだが、それにしてもプリキュアシリーズ。天下の東映の主要コンテンツであり、玩具の売上げが1年で100億円規模あるとなれば、製作陣にもそれなりの実力者が揃っているわけで、クオリティが高いのも当然という気もする。
で、まあ、そんなことは「プリキュア」と言われて何のことだかすぐわかってしまう人には既知のことであろうからどうでもいいとして。
俺はついさっき、再放送を録画していたYes!プリキュア5 GoGoの最終回を見たのだ。このシリーズは妖精が美青年に化けるところが違和感あるなあ(見た目はともかくキャラが変わってないか?)、とか思っていたが、最後はやはりいい感じにクライマックスで良かった。で、そのエピローグ部分で、黄色の子…女優を目指しているうららが持っていた芝居の台本のタイトルが「五つの光」であることに気付いてしまった。
で、思ったのだが。
現在放映中でもうすぐ最終回を迎える「スマイルプリキュア!」は、この「5 GoGO」と共通点が多く、焼き直しとも言われている。キャラクターデザイナーが同じである他、5人構成である点や、5人がロッドを合わせる必殺技の出し方なんかも似てる。で、その5人で変身した際の決め台詞が「五つの光が導く未来!輝け!スマイルプリキュア!」なのだが、これ、もしやこの劇中の台本のタイトルから来てないか?とね。
…いや、偶然かも知れないけど。ありふれた言葉だし。正義の味方が5人いて五つの光だなんて。
とは言え、実は前から気になっているのが他にもあって。
今月で終わるスマイルプリキュア!の後はドキドキ!プリキュアが始まるのだが、スマイルの前期エンディングテーマ曲の歌詞に「いつだってワクワク、ドキドキ!プリキュア!」という部分があり、しかもワクワクの直後に休符が入るので、前から「ドキドキプリキュア」って言葉のが耳に残ってたんだよね。
で、まさかわざとじゃねえだろう、偶然だろうな、と思っているものの、そのスマイルプリキュア!の前の作品である「スイートプリキュア♪」の後期エンディングテーマ曲では歌詞に「スマイル!スイートプリキュア!」と、まあコーラスパートなのだが、それが故に逆に目立つ感じで入っていたり。
そういや、音楽をテーマにしたスイート(組曲の意)プリキュアの前作品の「ハートキャッチプリキュア!」は、花をテーマにしていたけど必殺技を出すための武器というかアイテムは「フラワータクト」、技名は「フローラルパワーフォルテッシモ」など、微妙に音楽もチーフが入っていたり、そのハートキャッチの前作品の「フレッシュプリキュア!」はダンスをモチーフにしていた一方で四葉のクローバーが重要なシンボルとして頻繁に登場していたりと。
時期的なものを考えても、伏線というわけじゃなく、関係ないか、あるとしても単に「来年のシリーズを考える時に現行シリーズからヒントを得た」程度のことだろうと思うのだが、…それでも何か面白いよねこういう話。
…と、一応、真っ当な社会人のつもりであるところのおっさんが真顔で言える場はあまり多くは無いのでブログに書いてみる、という話でした。
2012年1月26日木曜日
少女不十分
テレビで「偽物語」というのがやっていて、面白いから同シリーズの「傷物語」を買おうと思い本屋へ行き、件の本は見つけられずに同じ西尾維新の最新作(と帯にはあった)である「少女不十分」を買った。
もとより、通勤電車の暇つぶし(最近はiPhoneでネットを見ていたが飽きた)であるから、何の本でも良かった。と言いつつ、西尾維新のファン…などではないつもりだが、戯言シリーズは読破しているので、まあ、好きではあるのだ。
「この本を書くのに10年かかった」とか何とか、思わせぶりなコピーと、いきなりの自伝的独白に、つうか自伝なのか?と一瞬思わされるが、まあ、俺としては、普通はありそうな前書きなどが何もないところ、あまりにも説明が省かれている点に「ははーん、自伝と勘違いさせるつもりだな」とか勘ぐりつつ読み進めた。
ま、途中の詳細は書かないが、結果を言えばとても面白かった。読み終えた翌日も、クライマックスを読み直し、また頭から読んでしまうくらいに。…まあ、電車内で時間を持て余しているだけとも言えるが、つまらなければそんなことはしない。
例によってというかなんというか、自虐的、露悪的、偽悪的で、意図的に冗長な韜晦が続く。これがくどくてつまらない人もいるようだが、俺としては面白い。テクニックとしてではなく、俺にはその冗長さは無駄に思えないからだ。よくわかる。気がする。自分も、何か思考する時には冗長に考える癖があるから。
もっとも、何より共感するのは、主人公の抱える疎外感だ。共感したくないものだが、共感せざるを得ない、残念なことに。コミュニケーション能力がおかしなことになっている自分は、共感せざるを得ないのだ。
ま、ともかく、なんだかんだで最後は良かった。良い物語だった。
2010年6月30日水曜日
涼宮ハルヒの消失(映画)を鑑賞してきましたよ
今日はサッカー日本代表戦。
他国開催で初の決勝トーナメント、がんばれサムライブルー!
…ということで、今日は仕事をちょい早めに切り上げて…「涼宮ハルヒの消失」を新宿で見て来ました。
…いやあ。
とりわけライトノベル好きでもないつもりなんだけど、このシリーズはふとしたきっかけで読んでいて、結構好きでさ。特にこの「消失」は世間の評価通りに秀逸だと思うし。
それが映画化ですから気にはなるんだが、そもそも俺はあまり映画館には行かないしねえ。春に仕事で外出した際にチャンスがあったものの、勇気が出ずにスルーし、まあDVDが出たらこそっと見るか…と思っていた。
で、そろそろレンタルしてねーかなあ、と先日に検索したら、レンタルしてないかわりに、新宿の映画館で今更上映し始めているのを発見。…これは神が「別にエロ映画ではないのだから堂々と見に行きなさい」と言っているのだと理解し、ついに劇場へと足を運んだ。…最近忙しいから息抜きしたかったってのもあるし…。
とは言え、やはりチケット売り場でお姉さんに「涼宮ハルヒの消失を」と告げるのは、「エヴァンゲリヲンを」と言うのよりさらに若干の勇気を要した。俺も小物だ。
が、いい加減に封切りからだいぶ時間たってるし、平日だしサッカーの日だしで、狭いながらガラガラの映画館でゆっくりと鑑賞できて良かった。2時間40分という大作、後半は膀胱がモジモジしたが、それ以外は実に快適であった。
肝心の中身についての感想。
アニメ放映がそうであったように、およそ原作に忠実であった。だからイメージを裏切らないが期待をいい意味で裏切ることもない。
それでも、確かに長門は…そうだな、帰り道に新宿駅の三次元女がキタナラシク見えてしまう程度には可愛かった。うん。
いや。それは重要だが些細な問題で。やはり、平行世界的なSF要素も、また悪く言えば陳腐だが良く言えば王道な青春的物語も、原作通りの爽やかさで楽しめた。
俺の高校生の頃には、周囲にもちろん超能力者も宇宙人も未来人もいなかったが、同時に消失長門その他のような可憐な美少女もいなければ、そういった相手に安い恋愛感情ではない何かを抱けるほど純真でかつ成熟した自分もいなかった。
そう、改変後の世界の「普通の」学園生活も、現実から見ればSFと同じくらい遠い世界なのだが、だからこそ憧れる、或いは懐かしい。
映画として言えば、原作を読んでなければ着いていけない(話はわかっても魅力がわからない)、終盤の演劇的演出?は少々食傷気味な印象だ…など、難癖をつけるべきところはいろいろありそうだが、ま、それでも、とにかく、3時間弱を愉しく過ごせたのは確かだ。
エンドロールのアカペラは…素直に伴奏付ければよかったのにと思いながらずっと聞いていたが、その後のオマケ映像で、図書館で女の子に図書カードを作ってあげた男の子を見て、読んでいた本を上げて口元を画した長門は…どっちの世界のだったのだろう?
ただ、いずれにしても…キョンが困難な日常を自ら選択したように、長門もまた、自らが選んだ人間に託すという形で”エラーの溜まる”世界を選択した。
途中のキョンの、たいした感動を呼ばないモノローグにあったように、幸福というものの構成要素に納得というものがある程度の重要な役割を占めるなら、やはり、結果としての安寧よりも自ら選択する意思というものは重い。
…とかね。解説を試みることにいかほど価値があるかと思うけど、やはり、ただ可愛い女の子が出て来るアニメというわけではないなとは、思いましたよ。
2010年5月8日土曜日
【零崎人識の人間関係シリーズ】ワルぶった優等生のような不良
電車の中吊り広告に釣られてひやかしのつもりで買ったクビキリサイクルが意外に面白く、以降、戯言シリーズ本編は読み切った。
途中、個人的には息切れするところもあったが、最終的にはこの作者の趣味っぽい大団円(何人か主要登場人物死んだけど)で、面白かったと思う。
通勤の駅前に新しい本屋が出来て、朝から開いてたので寄ってみたら平積みされていたので、この「零崎人識の人間関係シリーズ」も読んでみた。
※ネタバレ含みます
まず、最初に買おうとしたのは「匂宮出夢との関係」だったが、なぜか間違って「無桐伊織との関係」を買ってしまった。
でもこれは意外と面白かった。ひたすら「最強」というものについてのアレコレが、意外にああ、なるほど、と。勝てる時に勝つのが強いんでなく、勝てそうになくても負けないのが強いんだと、まあベタな話だけど、そんなことを思わせる話。
で、次に読んだのが「匂宮出夢との関係」。
あらすじはまあ、…零崎人識との甘く切なく血みどろな恋物語。これは、単体の話としてより、本編の裏話としての楽しみになるだろうか。ああ、なるほど、こういう関係でああなっていたのか、と。
残り2冊はまとめて買った。
「戯言遣いとの関係」は、思い切りネタバレしてしまうと、肝心の戯言遣いがまったく登場しないのが残念。ただ、登場してしまっては本編と同じになってしまうので、これでいいのだろう。
代わりにこの話では、刑事の佐々沙咲が主な登場人物となる。ちょっと地味に思うが…。
「零崎双識との関係」は、これは普通にエンターテイメントだった。これまた肝心の双識はろくに登場しないのだが…感想としては、「零崎双識の人間試験」も読んでみようかと思った。
このシリーズ、本編も含め、かなり荒唐無稽もいいところなのだが、それでいて要所でなかなかリアルな人間の描写があるのが面白い。
殺す殺さないとか、そんなのあり得ないとか、そういう具体的な話の筋そのままで読むんじゃなくて、入出力的な関係で読むのがいいと思う。
一休さんが「この橋渡るべからず」の橋の真ん中を渡ったという話を読んで「通用するかよそんもん!」と突っ込むのではなく、ああ、なるほどと思える感性が必要だ。
まあ、フィクションの物語は須らくそうであろうと思うけど。
途中、個人的には息切れするところもあったが、最終的にはこの作者の趣味っぽい大団円(何人か主要登場人物死んだけど)で、面白かったと思う。
通勤の駅前に新しい本屋が出来て、朝から開いてたので寄ってみたら平積みされていたので、この「零崎人識の人間関係シリーズ」も読んでみた。
※ネタバレ含みます
まず、最初に買おうとしたのは「匂宮出夢との関係」だったが、なぜか間違って「無桐伊織との関係」を買ってしまった。
でもこれは意外と面白かった。ひたすら「最強」というものについてのアレコレが、意外にああ、なるほど、と。勝てる時に勝つのが強いんでなく、勝てそうになくても負けないのが強いんだと、まあベタな話だけど、そんなことを思わせる話。
で、次に読んだのが「匂宮出夢との関係」。
あらすじはまあ、…零崎人識との甘く切なく血みどろな恋物語。これは、単体の話としてより、本編の裏話としての楽しみになるだろうか。ああ、なるほど、こういう関係でああなっていたのか、と。
残り2冊はまとめて買った。
「戯言遣いとの関係」は、思い切りネタバレしてしまうと、肝心の戯言遣いがまったく登場しないのが残念。ただ、登場してしまっては本編と同じになってしまうので、これでいいのだろう。
代わりにこの話では、刑事の佐々沙咲が主な登場人物となる。ちょっと地味に思うが…。
「零崎双識との関係」は、これは普通にエンターテイメントだった。これまた肝心の双識はろくに登場しないのだが…感想としては、「零崎双識の人間試験」も読んでみようかと思った。
このシリーズ、本編も含め、かなり荒唐無稽もいいところなのだが、それでいて要所でなかなかリアルな人間の描写があるのが面白い。
殺す殺さないとか、そんなのあり得ないとか、そういう具体的な話の筋そのままで読むんじゃなくて、入出力的な関係で読むのがいいと思う。
一休さんが「この橋渡るべからず」の橋の真ん中を渡ったという話を読んで「通用するかよそんもん!」と突っ込むのではなく、ああ、なるほどと思える感性が必要だ。
まあ、フィクションの物語は須らくそうであろうと思うけど。
2009年8月20日木曜日
【日本沈没 第二部】意外なほどつまらない…
第一部というかオリジナルというかの方を読んで、面白かったので勢いで第二部も購入。
小松左京は、当初から第二部を想定していたのだが、実際に大地震が起きてしまったり何だかんだで、書けないでいたとか。で、もはや高齢で執筆が辛いということで、谷甲州という作家が代わりに書くことになった、とかそんな話で共著ということになっている。
で、まだ上巻しか読んでいないのだが。一応これから下巻も読むのだが。
正直、のっけから詰まらないし、読み進めるにしたがって、ますますガッカリ感が募った。話自体は盛り上がる方向に向かっているんだけどね…。
まず、前作から25年後ということで、登場人物は大方刷新されている。中田など若干名の主要人物は25年後のやけに出世した姿で再登場しているが。
ただ、それにしろ新しい人物にしろ、読んでいて魅力を感じない。何と言うか、薄っぺらい。人物が薄っぺらいというよりは、その人物の像が薄っぺらい。だから、感情移入できないというか、淡々と粗筋を追う感覚になってしまう。
日本沈没は、20世紀末頃を舞台にしていたが、執筆当時よりは未来が舞台だったから、ところどころ、今現在の日本より先進的に思えるような世界描写もあった。
その世界の続きとしてさらに25年が経ったはずの世界を舞台にしているのに、どうも世界がイモ臭い。というか、ネットだとかデジカメ、携帯端末と言ったガジェット類は、むしろ今現在より陳腐な印象だ。特に個人のコンピュータ利用環境がショボい。
これは、意図的に、日本が沈没したせいでその他の世界の技術発展も停滞したという描写をしているわけではなく、ただ単に作者が現時点の現実世界を基準に書きつつ、実際の技術の先端をよく知らないからそうなってしまったようにしか見えない。
また、国土を失った日本人を物語が追うために、舞台が世界のあちこちに移るのだが…未曾有の災害を体験した後25年先の未来であるはずなのに、危機管理意識がゼロの途上国人だの、中央アジアで警官に賄賂が横行するだの、そんな聞き飽きたステレオタイプみたいな現実をそのままグダグダ書かれても、正直なんの面白みもない。そういう現実が残っていたとしても、日本の沈没と日本人の離散が、そういう問題に局所的にでも影響して、どういう反応が起こったか…それがない。
いや、あるのかも知れないが、それがただの、今現在そこらで起こってる地域紛争みたいな話だというのじゃ、敢て日本が沈没したという大掛かりで荒唐無稽な舞台設定を苦労して作った意味がわからん。
バイオレンス系の本作には異色ぽい登場人物、山崎も、なんだか突然に凄腕の秘密工作員みたいになって遭難しかけてみたり、どうも話も突飛で説得力が低い。
率直な感想。
著者の谷甲州は、青年海外協力隊としてネパールに在住していたらしい。そのあたりの「通な体験」をモチーフにした途上国の現実の描写をリアルっぽく語るだけで、満足してしまっているのではないか。
ノンフィクションの重さはないし、フィクションならではの深さや広がりも無いし、なんだかなあ。という印象。
小松左京はさっさと自分で書くか、いっそ誰にも書かせなきゃ良かったろうにと思った。
小松左京は、当初から第二部を想定していたのだが、実際に大地震が起きてしまったり何だかんだで、書けないでいたとか。で、もはや高齢で執筆が辛いということで、谷甲州という作家が代わりに書くことになった、とかそんな話で共著ということになっている。
で、まだ上巻しか読んでいないのだが。一応これから下巻も読むのだが。
正直、のっけから詰まらないし、読み進めるにしたがって、ますますガッカリ感が募った。話自体は盛り上がる方向に向かっているんだけどね…。
まず、前作から25年後ということで、登場人物は大方刷新されている。中田など若干名の主要人物は25年後のやけに出世した姿で再登場しているが。
ただ、それにしろ新しい人物にしろ、読んでいて魅力を感じない。何と言うか、薄っぺらい。人物が薄っぺらいというよりは、その人物の像が薄っぺらい。だから、感情移入できないというか、淡々と粗筋を追う感覚になってしまう。
日本沈没は、20世紀末頃を舞台にしていたが、執筆当時よりは未来が舞台だったから、ところどころ、今現在の日本より先進的に思えるような世界描写もあった。
その世界の続きとしてさらに25年が経ったはずの世界を舞台にしているのに、どうも世界がイモ臭い。というか、ネットだとかデジカメ、携帯端末と言ったガジェット類は、むしろ今現在より陳腐な印象だ。特に個人のコンピュータ利用環境がショボい。
これは、意図的に、日本が沈没したせいでその他の世界の技術発展も停滞したという描写をしているわけではなく、ただ単に作者が現時点の現実世界を基準に書きつつ、実際の技術の先端をよく知らないからそうなってしまったようにしか見えない。
また、国土を失った日本人を物語が追うために、舞台が世界のあちこちに移るのだが…未曾有の災害を体験した後25年先の未来であるはずなのに、危機管理意識がゼロの途上国人だの、中央アジアで警官に賄賂が横行するだの、そんな聞き飽きたステレオタイプみたいな現実をそのままグダグダ書かれても、正直なんの面白みもない。そういう現実が残っていたとしても、日本の沈没と日本人の離散が、そういう問題に局所的にでも影響して、どういう反応が起こったか…それがない。
いや、あるのかも知れないが、それがただの、今現在そこらで起こってる地域紛争みたいな話だというのじゃ、敢て日本が沈没したという大掛かりで荒唐無稽な舞台設定を苦労して作った意味がわからん。
バイオレンス系の本作には異色ぽい登場人物、山崎も、なんだか突然に凄腕の秘密工作員みたいになって遭難しかけてみたり、どうも話も突飛で説得力が低い。
率直な感想。
著者の谷甲州は、青年海外協力隊としてネパールに在住していたらしい。そのあたりの「通な体験」をモチーフにした途上国の現実の描写をリアルっぽく語るだけで、満足してしまっているのではないか。
ノンフィクションの重さはないし、フィクションならではの深さや広がりも無いし、なんだかなあ。という印象。
小松左京はさっさと自分で書くか、いっそ誰にも書かせなきゃ良かったろうにと思った。
2009年7月17日金曜日
【ガダラの豚】裏の裏の裏
中島らもの「明るい悩み相談室」は好きだった。
だからというわけではないが、「ガダラの豚」を読んだ。
※ネタバレします
まず、1巻。
次々に登場する超常現象と、それをバッサバッサと種明かししていくミラクルのトリック暴き。だが、特筆すべきは、トリックを暴けないが騙されない大宇部教授の論理だ。
相変わらず世間は疑似科学に騙されやすい。みんなこれ読めばいいのに、と思った。
疑似科学やカルトを切り捨てる本は少なからずあるが、ガダラの豚は、種明かしをしつつも、けっして啓蒙書ではなく、エンターテイメントなのも素晴らしい。面白い。
全3巻なんだが、この1巻で事件は解決しており、2巻に進むのに間が空いてしまった。
間があいたのに2巻を読もうと決心したのは、気になることがあったからだ。
冒頭、似非じゃない宗教として密教系のとぼけた老僧の修行シーンがある。エピソードとして面白いのだが、本編に全然絡んでいなくて、これがその後どういう意味をもつのかが気になってしかたなかったのだった。
2巻。
舞台は一点してアフリカに。
1巻では、大宇部教授の知識としてだけ語られていたアフリカの呪術が、現実のものとして描かれる。
現実のものとして…というのが、呪いは「本当だ」「嘘だ」という単純な問題ではなく、ただ、少なくとも現実なのだという意味が、この本を読めばわかる。
とは言え、物語は前巻に輪をかけてエンターテイメント。恐ろしく、邪悪な大呪術師も登場し、ついに大量の人死まで出る。犠牲者の多くは物語の中核にはいなかった端役で、ホラー映画なら登場時から死亡フラグがピンコ立ちな感じだが、それにしてもちょっと随分死にすぎじゃない?とも思った。
何せ、1巻ではいろいろアクションもあったけど、ヤクザが数名重傷を負ったくらいで、まともな人物は誰も死ななかったから、そういうもんだと思っていたら、最後の方で一気に。
面白かったけどちょっと怖くなって来た。
3巻。
1、2巻は押し並べて高評価だが、3巻は意見が分かれるらしい。
3巻はのっけから危険な雰囲気。そして、悪い予感通りに、主要な登場人物が次々と、それは惨たらしく死んで行く。
マフィア、ヤクザを手駒に使うバキリの「呪い」は、薬品やトリック、暗示に現実的な武力を駆使した、巧妙だが普通の殺人なのか。それとも、科学を超えた得体の知れない力を本当に操っているのか。
これまで、この作品で、いくつもの呪いや奇跡が、語られては種明かしされてきた。これも、そうなのか?そうかも知れない要素も見える、だがそれだけではなさそうな…
と、不安と期待がないまぜになって読み進む。
はっきり言って、この3巻、人が死に過ぎで酷い。
だが、どうしても気になる。
死の間際、バキリとの対決で清川が見せたのは、本人も長く失っていた、そして作品中で遂に、初めて見せた、本物の超能力ーサイコキネシスなのか?
そうとも思える描写だが、バキリは暗示による幻覚を多用するので、それが現実とも言い切れず、歯痒さが残る。
全編、この調子で、真相は薮の中で行くのかな…と思いつつ、そうではない予感もあった。
何故って。
3巻の半分ほどまで読み進めて、それまでずっと俺が引っかかっていたのは、1巻の冒頭に出て来た、とぼけた密教の老僧、隆心の護摩行のシーン。炎の中に黒い面を見て、覗き込むあまり顔面を火傷して修行に失敗するショボい話なのだが…。
ここで隆心が見たものは、紛れも無く予知の類いに属するものと思われ、これについては、作中で何の種明かしもされていなかった。つまり、「本物の超常」というのが、この作品中にはある、と踏んでいたのだ。
そして遂に、3巻で再び登場した隆心は、バキリの相方であるキロンゾの心臓を法力で潰して倒す。ただ、キロンゾも隆心の脳の血管をねじ切り、相打ちとなる。
このシーン、双方とも敵味方の「主」ではないのだが、しかし、ここから明確に、物語はサイキックバトルの様相を呈し始める。
物語の5/6くらいまではずっと、いかにも超常現象ぽいものを出しては種明かしをして、「結局そんなものはないんだよ」というスタンスだったのが、この土壇場で。
そして最後、バキリと大宇部教授の対決。
ラスト数ページにして、遂に主役の大宇部教授が、覚醒する!
覚醒した大宇部教授は強く、バキリは壮絶な最期を迎え、大団円(かなり多くの人間が死んでいるが)を迎えるのだった。
このラスト、確かに、それまで積み上げてきたものをぶち壊すかのように、一気に荒唐無稽のご都合主義になり、ともすれば、「作者が最期で嫌になって適当に書いたんじゃないか?」とさえ思えるのだが、これはやはり、中島らもの確信犯的なやり口なんだろうと思った。
たくましく成長した息子。
1巻では疲れた主婦だったのが2巻では快活で魅力的で美しい妻となり、3巻では、さらにチャーミングで強いママと、確実にハリウッド映画キャラ的に進化した逸美は、ラストは、無理やりな展開で下着でヤク中の空手男とバトルを演じる。むしろハリウッドではないところで取られるアメリカの映画のようなB級展開。
その逸美もいよいよ力尽きようかというところで、それまでの頼りない姿から一転、圧倒的な力をもって現れる主人公(ハゲでデブの中年で、しかもこの時ズボンを穿いていない)。
「私は目を醒ました。」
たぶん、作者は、これが書きたいがために、前半はひたすら緻密に、堪えて堪えて壮大な前振りをしたんじゃないかなあ。
苦笑気味になるものの、やはり、それでも、結局のところは、3巻の最期も含めて、俺としては喝采ものだった。
面白かった。
だからというわけではないが、「ガダラの豚」を読んだ。
※ネタバレします
まず、1巻。
内容(「BOOK」データベースより)
アフリカにおける呪術医の研究でみごとな業績を示す民族学学者・大生部多一郎はテレビの人気タレント教授。彼の著書「呪術パワー・念で殺す」は超能力ブームにのってベストセラーになった。8年前に調査地の東アフリカで長女の志織が気球から落ちて死んで以来、大生部はアル中に。妻の逸美は神経を病み、奇跡が売りの新興宗教にのめり込む。大生部は奇術師のミラクルと共に逸美の奪還を企てるが…。超能力・占い・宗教。現代の闇を抉る物語。まじりけなしの大エンターテイメント。日本推理作家協会賞受賞作。
次々に登場する超常現象と、それをバッサバッサと種明かししていくミラクルのトリック暴き。だが、特筆すべきは、トリックを暴けないが騙されない大宇部教授の論理だ。
相変わらず世間は疑似科学に騙されやすい。みんなこれ読めばいいのに、と思った。
疑似科学やカルトを切り捨てる本は少なからずあるが、ガダラの豚は、種明かしをしつつも、けっして啓蒙書ではなく、エンターテイメントなのも素晴らしい。面白い。
全3巻なんだが、この1巻で事件は解決しており、2巻に進むのに間が空いてしまった。
間があいたのに2巻を読もうと決心したのは、気になることがあったからだ。
冒頭、似非じゃない宗教として密教系のとぼけた老僧の修行シーンがある。エピソードとして面白いのだが、本編に全然絡んでいなくて、これがその後どういう意味をもつのかが気になってしかたなかったのだった。
内容(「BOOK」データベースより)
大生部一家はテレビ局の特番取材で再びアフリカへ旅立つ。研究助手の道満、スプーン曲げ青年の清川、大生部の長男納、テレビのスタッフ6名。一行はケニアとウガンダの国境沿いを北上してスワヒリ語で「13」という意味の不吉な村、クミナタトゥに着いた。村民に怖れられる大呪術師バキリの面会に成功した一行は最大の禁忌を犯す。バキリのキジーツの少女を攫ったのだ。危機一髪。ケニアを後にする。日本推理作家協会賞受賞作。
2巻。
舞台は一点してアフリカに。
1巻では、大宇部教授の知識としてだけ語られていたアフリカの呪術が、現実のものとして描かれる。
現実のものとして…というのが、呪いは「本当だ」「嘘だ」という単純な問題ではなく、ただ、少なくとも現実なのだという意味が、この本を読めばわかる。
とは言え、物語は前巻に輪をかけてエンターテイメント。恐ろしく、邪悪な大呪術師も登場し、ついに大量の人死まで出る。犠牲者の多くは物語の中核にはいなかった端役で、ホラー映画なら登場時から死亡フラグがピンコ立ちな感じだが、それにしてもちょっと随分死にすぎじゃない?とも思った。
何せ、1巻ではいろいろアクションもあったけど、ヤクザが数名重傷を負ったくらいで、まともな人物は誰も死ななかったから、そういうもんだと思っていたら、最後の方で一気に。
面白かったけどちょっと怖くなって来た。
3巻。
1、2巻は押し並べて高評価だが、3巻は意見が分かれるらしい。
通訳のムアンギ、テレビクルーたち。6人もの犠牲者を出して大生部は娘を取り戻した。「バナナのキジーツ」の志織を奪いに呪術師バキリは東京に来ている。番組関係者の回りでは次々奇怪な事件が起こる。司会者嬢の惨殺、清川の変死。元・プロデューサーの馬飼は大生部一家と大呪術師バキリが対決する生番組を企画した。光と影、呪いと祈り。テレビ局の迷路でくりひろげられる世紀末スペクタクル大団円。日本推理作家協会賞受賞作。
3巻はのっけから危険な雰囲気。そして、悪い予感通りに、主要な登場人物が次々と、それは惨たらしく死んで行く。
マフィア、ヤクザを手駒に使うバキリの「呪い」は、薬品やトリック、暗示に現実的な武力を駆使した、巧妙だが普通の殺人なのか。それとも、科学を超えた得体の知れない力を本当に操っているのか。
これまで、この作品で、いくつもの呪いや奇跡が、語られては種明かしされてきた。これも、そうなのか?そうかも知れない要素も見える、だがそれだけではなさそうな…
と、不安と期待がないまぜになって読み進む。
はっきり言って、この3巻、人が死に過ぎで酷い。
だが、どうしても気になる。
死の間際、バキリとの対決で清川が見せたのは、本人も長く失っていた、そして作品中で遂に、初めて見せた、本物の超能力ーサイコキネシスなのか?
そうとも思える描写だが、バキリは暗示による幻覚を多用するので、それが現実とも言い切れず、歯痒さが残る。
全編、この調子で、真相は薮の中で行くのかな…と思いつつ、そうではない予感もあった。
何故って。
3巻の半分ほどまで読み進めて、それまでずっと俺が引っかかっていたのは、1巻の冒頭に出て来た、とぼけた密教の老僧、隆心の護摩行のシーン。炎の中に黒い面を見て、覗き込むあまり顔面を火傷して修行に失敗するショボい話なのだが…。
ここで隆心が見たものは、紛れも無く予知の類いに属するものと思われ、これについては、作中で何の種明かしもされていなかった。つまり、「本物の超常」というのが、この作品中にはある、と踏んでいたのだ。
そして遂に、3巻で再び登場した隆心は、バキリの相方であるキロンゾの心臓を法力で潰して倒す。ただ、キロンゾも隆心の脳の血管をねじ切り、相打ちとなる。
このシーン、双方とも敵味方の「主」ではないのだが、しかし、ここから明確に、物語はサイキックバトルの様相を呈し始める。
物語の5/6くらいまではずっと、いかにも超常現象ぽいものを出しては種明かしをして、「結局そんなものはないんだよ」というスタンスだったのが、この土壇場で。
そして最後、バキリと大宇部教授の対決。
ラスト数ページにして、遂に主役の大宇部教授が、覚醒する!
覚醒した大宇部教授は強く、バキリは壮絶な最期を迎え、大団円(かなり多くの人間が死んでいるが)を迎えるのだった。
このラスト、確かに、それまで積み上げてきたものをぶち壊すかのように、一気に荒唐無稽のご都合主義になり、ともすれば、「作者が最期で嫌になって適当に書いたんじゃないか?」とさえ思えるのだが、これはやはり、中島らもの確信犯的なやり口なんだろうと思った。
たくましく成長した息子。
1巻では疲れた主婦だったのが2巻では快活で魅力的で美しい妻となり、3巻では、さらにチャーミングで強いママと、確実にハリウッド映画キャラ的に進化した逸美は、ラストは、無理やりな展開で下着でヤク中の空手男とバトルを演じる。むしろハリウッドではないところで取られるアメリカの映画のようなB級展開。
その逸美もいよいよ力尽きようかというところで、それまでの頼りない姿から一転、圧倒的な力をもって現れる主人公(ハゲでデブの中年で、しかもこの時ズボンを穿いていない)。
「私は目を醒ました。」
たぶん、作者は、これが書きたいがために、前半はひたすら緻密に、堪えて堪えて壮大な前振りをしたんじゃないかなあ。
苦笑気味になるものの、やはり、それでも、結局のところは、3巻の最期も含めて、俺としては喝采ものだった。
面白かった。
2009年7月15日水曜日
【日本沈没】正直、意外な面白さ
なんて言うか、カタストロフィもの?
で、もの凄いヒーローが出て来るわけでもないし、アクションぽいシーンもあるけど半端っていや半端なんだが。
とにかく圧倒的なのは、日本が沈むような超規模の地殻変動が、”あり得るかも知れねえ”と思わせる科学的な裏付けだ。俺は、地震は専門外とは言え、大学では地学分野を専門にしていたから、一般よりはそのあたりの事情に明るいはずだ。それでもそう感じられるくらいに、設定は緻密で飛躍はさりげなかった。
それに、やはり人間の描写がよいのだろう。憧れるようなスーパーヒーローや萌えを誘うヒロインはなくても、上下巻を楽しむことが出来た。
面白かったので映画を見ようかと思ったが、ネットであらすじ見たところ、随分とつまらなそうな気がした。でも特撮はスペクタクルかも知れないからやっぱ見てみようかなあ。
で、もの凄いヒーローが出て来るわけでもないし、アクションぽいシーンもあるけど半端っていや半端なんだが。
とにかく圧倒的なのは、日本が沈むような超規模の地殻変動が、”あり得るかも知れねえ”と思わせる科学的な裏付けだ。俺は、地震は専門外とは言え、大学では地学分野を専門にしていたから、一般よりはそのあたりの事情に明るいはずだ。それでもそう感じられるくらいに、設定は緻密で飛躍はさりげなかった。
それに、やはり人間の描写がよいのだろう。憧れるようなスーパーヒーローや萌えを誘うヒロインはなくても、上下巻を楽しむことが出来た。
面白かったので映画を見ようかと思ったが、ネットであらすじ見たところ、随分とつまらなそうな気がした。でも特撮はスペクタクルかも知れないからやっぱ見てみようかなあ。
2009年6月12日金曜日
本読みが嫌いだ
ここにろくでもない感想文を書いている通り、最近はよく本を読む。
あるきっかけで1年ほど前から、通勤電車内で本を読む習慣になったからだ。
本を読んでいると、数十分にわたる乗車時間が短く感じられるのが素晴らしい。そう、思い切り暇つぶし目的だ。
とは言え、せっかく読むので、面白そうだと思うモノを選ぶようにしている。
どこかで聞いたことあるとか、1冊読んで面白かったからシリーズの続きを選ぶとか、その程度の基準ではあるが。
ただ、それでもネタに詰まると、「おもしろい小説」とか身も蓋もないキーワードで検索したりして、適当なものを探してみることがある。
リンクを辿って、自然と、「本好き」「読書家」のブログか何かに辿り着くことがある。
世の中の本読みの人たちは、随分とたくさんの本を読むようだ。よくもまあ、と思うほど読む人々が多いらしい。
だが、どうも、その手の人々の言説は、いちいち首をひねりたくなる者が多い。さすがは読書家を自認する人びと、滔々と豊富な語彙で語られる読書論?は淀みなく隙もない。
ような気もする。のだが、どうも、なるほど!とか思うようなものが何もない。しかし、そんなサイトのコメント欄など見ると、同好の士からの同意と共感の声が並んでいたりする。
なんというか、何なんだろう。俺が、読書の真の価値?のようなものを理解しない低能だから、その高度な論理、議論についていけてないのだろうか。それで、その共感を俺は感じられないのだろうか?
…もちろん、そんなことは鼻くそほども思ってはいない。中学生の頃から読書好きを自認する級友と話をすると反吐が出る思いだった。だから小説を読むことすら嫌いになっていたのではないか、と思えるくらいだ。
幸い、今の俺は、「本当の本好き」の人びとと、本そのものを糞味噌にするほど若くない。成長は素晴らしいな。
あるきっかけで1年ほど前から、通勤電車内で本を読む習慣になったからだ。
本を読んでいると、数十分にわたる乗車時間が短く感じられるのが素晴らしい。そう、思い切り暇つぶし目的だ。
とは言え、せっかく読むので、面白そうだと思うモノを選ぶようにしている。
どこかで聞いたことあるとか、1冊読んで面白かったからシリーズの続きを選ぶとか、その程度の基準ではあるが。
ただ、それでもネタに詰まると、「おもしろい小説」とか身も蓋もないキーワードで検索したりして、適当なものを探してみることがある。
リンクを辿って、自然と、「本好き」「読書家」のブログか何かに辿り着くことがある。
世の中の本読みの人たちは、随分とたくさんの本を読むようだ。よくもまあ、と思うほど読む人々が多いらしい。
だが、どうも、その手の人々の言説は、いちいち首をひねりたくなる者が多い。さすがは読書家を自認する人びと、滔々と豊富な語彙で語られる読書論?は淀みなく隙もない。
ような気もする。のだが、どうも、なるほど!とか思うようなものが何もない。しかし、そんなサイトのコメント欄など見ると、同好の士からの同意と共感の声が並んでいたりする。
なんというか、何なんだろう。俺が、読書の真の価値?のようなものを理解しない低能だから、その高度な論理、議論についていけてないのだろうか。それで、その共感を俺は感じられないのだろうか?
…もちろん、そんなことは鼻くそほども思ってはいない。中学生の頃から読書好きを自認する級友と話をすると反吐が出る思いだった。だから小説を読むことすら嫌いになっていたのではないか、と思えるくらいだ。
幸い、今の俺は、「本当の本好き」の人びとと、本そのものを糞味噌にするほど若くない。成長は素晴らしいな。
2009年6月9日火曜日
【膚の下】なんとも独特の世界観
淡々としていて、それでいて濃い。くどいくらいに濃い。
面白いのだが、背表紙だけ見た妻にエロ小説かと疑われた。
この話は、実は三部作の三作目だ。ただ、作品内の時系列では三部作の冒頭だ。
ただ、話としては独立していて、順番は気にせずに読んでも、それぞれ不都合なく読めるようにはなっている。
どこまでも平和な解決を求めつつ、どうにも切ない。なんだろうねこれは。SFの設定としては結構ぶっ飛んでる方だし、ある意味、その心情的なものも含めて、大人向けのお伽噺のような感じかも知れない。
まあ、結論としては、とても面白かった。
【巨人たちの星】ダンチェッカーが止められない
「星を継ぐもの」「ガニメデの優しい巨人」に続く三作目。まだ続きもあるようだが、本来はここで完結だと思う。なぜなら、この三作目のラストで、見事に一作目で提示されたうちのもっとも根本的な謎について、見事に回答するからだ。
相変わらず派手な艦隊戦はない…んー、実際ないが、ここにきて若干のアクションは入る。話は太陽系を飛び出して、途方もなくスケールアップする。
全体に対して比重は軽いものの、いくらかロマンス要素も増え、最近のSFのスタイル?になって来ているのかも知れない。
しかし、特筆すべきは、ますます冴えるクリス・ダンチェッカーの論理だ。もはや痛快の域に達っしている。理屈を語るだけでそう思わせるキャラクターというのもなかなかない。いや、戦わないキャラクターは他にもいるだろうが、そうではない。ダンチェッカーは、知謀も策略も何もないのだ。ただ、事実を観察し、それを考察し語るだけ。
そう、今気づいた。ダンチェッカーはたぶん、俺が昔に憧れた科学者の姿なのだ。ただ事実を事実として、論理を論理として語る。本物の学者の大部分はそれのみではないようだと知って、俺は科学者を目指すのを止めてしまった。俺ももう大人だし、研究も資金がなくては出来ないという事実も知っているので、簡単に学会批判をしたいわけじゃないが、幻滅したのは確かだ。
だが、こうあって欲しい、と思っていた科学者たちが、このシリーズにはいる。それで…それが、面白いのだろう。
やはりダンチェッカーはヒーローだ。禿げて頑固なジジイでも。
「科学」という言葉に何か感じるところがある人も、そうでない人も、ぜひ読んでみるとよい物語だと思う。
【ガニメデの優しい巨人】ヴィクター・ハントの影が薄くなりつつある
前作、「星を継ぐもの」の続編。とは言え、とって付けたようなパート2ではなく、前作では明らかにされなかった大きな謎の数々に答えが与えれていく。
事実が1つ明らかになるごとに、新たな謎が次々と現れて行くのだが、その展開も見事だ。ただ、謎の内容は前作以上に科学的にマニアック?になっており、ある程度の自然科学系の素養(高校の生物を覚えてる程度でいいと思うが)がないと、つらくなってくるかも知れない。
が、俺には面白かった。なので、すぐにさらに続編を買った。
【星を継ぐもの】科学の小説
たぶん、男前で切れ者の原子物理学者のハントが主人公のはずだ。きっとそうなのだ。だが、気づいてみると、本当のヒーローは禿げた金縁眼鏡の生物学者のクリス・ダンチェッカーではないか、という気になってくる。
海外SF、ファンタジーには、ジジイがヒーローの作品がしばしばある。脇役にかっこいいジジイがいるんじゃない。あくまで主役級で。ドラキュラのヴァン・ヘルシングや、古くはホビットのガンダルフなども。
最近のライトノベルなどの、可愛らしい少年少女が主要な登場人物である話も、別に嫌いじゃない。だが、ダンチェッカーその他のいぶし銀の魅力は、やはりなんとも言えない味わい深さがある。
「星を継ぐもの」と言えば、最近ではZガンダムの映画のサブタイトル、古くはジャンプで短命の名作として名高いSFマンガ(自在剣と書いてスパイラルナイフと言って、何人が思い出せるだろう)などが思い浮かぶが、この小説が元祖であり、それらにモチーフを与えた存在なのだろう。
国連による惑星間航行技術の実用化がなされた近未来で、月の裏側の秘密、宇宙人と人類の起源といったテーマを背景に物語が展開するのだが、この一見なんともありきたりな題材、そしてたいしたロマンスもなし、対艦にせよ対人にせよ戦闘もなしでありながら、読み始めると止まらない面白さだ。
特筆すべきは、そのリアルな「科学」界の描写。科学のものの考え方、学者のものの考え方(これらは似て非なるものだ)が、自分もかつて自然科学分野の日本(ホゲ)学会に所属していた俺から見ても、とてもリアルで面白い。もちろん、小説として実際のものよりエキサイティングに描かれているとは思うが、実情を知っていてそれを脚色しているという感じで、想像だけで描かれる「科学者」「博士」像とは一線を画していると思う。
それだけに、もしかしたら面白くない人には全然面白くないのかも知れないが、そのケのある者が読めば、知的な興奮、論理の楽しさ、そういったものに引き込まれること請け合いだ。
実に面白い。おすすめだ。読んだら仕事にも役立つこと間違い無しだ。
2009年2月15日日曜日
【鉄鼠の檻】禅問答はあまり好きじゃない
「姑獲鳥の夏」以来、気に入って読み進めて来た京極堂シリーズ。今度の舞台は箱根の、秘匿された禅寺。
京極堂シリーズの面白さはまあ、詭弁の凄まじさやら魅力的なキャラクター、濃密な陰影があるが陰惨には過ぎない読後感などいろいろあると思うが、自分の場合では、しばしば馴染みのある場所が舞台になるというのもある。
中野や神保町は通勤経路みたいなものだったし、小金井は何年か住んでいたところだし、相模湖や逗子も何度も足を運んでいる。今回の舞台である箱根も、小学校の林間学校に始まり、彼女(現妻)との温泉旅行に至るまで、というか、それ以前にバイクツーリングで何度となく、足を運び歩き回りもした場所だ。
知っている場所そのものが出なくても、なんとなく情景が連想されるだけで、臨場感はいや増す。
にしてもだ。
鉄鼠の檻は…全体にはもちろん、面白かったし、意外な展開に驚いたりもしたのだが…。
禅の歴史の蘊蓄や公案の語りは正直途中から飽きてしまったし、憑き物落としの鮮やかさもイマイチに感じた。
けっしてつまらなくはなかったが、なんとなく、俺の中でのこのシリーズに対する勢いが、殺がれたように感じたのは否めない。
…男色ネタがいただけなかったのかなあ。いや、きっと、悪い意味での禅問答に対する嫌悪があるからかもなあ。
京極堂シリーズの面白さはまあ、詭弁の凄まじさやら魅力的なキャラクター、濃密な陰影があるが陰惨には過ぎない読後感などいろいろあると思うが、自分の場合では、しばしば馴染みのある場所が舞台になるというのもある。
中野や神保町は通勤経路みたいなものだったし、小金井は何年か住んでいたところだし、相模湖や逗子も何度も足を運んでいる。今回の舞台である箱根も、小学校の林間学校に始まり、彼女(現妻)との温泉旅行に至るまで、というか、それ以前にバイクツーリングで何度となく、足を運び歩き回りもした場所だ。
知っている場所そのものが出なくても、なんとなく情景が連想されるだけで、臨場感はいや増す。
にしてもだ。
鉄鼠の檻は…全体にはもちろん、面白かったし、意外な展開に驚いたりもしたのだが…。
禅の歴史の蘊蓄や公案の語りは正直途中から飽きてしまったし、憑き物落としの鮮やかさもイマイチに感じた。
けっしてつまらなくはなかったが、なんとなく、俺の中でのこのシリーズに対する勢いが、殺がれたように感じたのは否めない。
…男色ネタがいただけなかったのかなあ。いや、きっと、悪い意味での禅問答に対する嫌悪があるからかもなあ。
2009年1月1日木曜日
クリスマスは鶏肉を食べる日だと思っている
もはや、クリスマスなる日がどこの宗教の誰の誕生日だろうと感謝祭と降誕祭と七面鳥と鶏がフォークダンスを踊ってようがいまいが、とにかく、我が国においてのクリスマスイブという日は骨付きの鶏肉を食べる日なのだ。何より俺はローストチキンが大好きだ。ローストチキンを好物と宣言した記憶は6歳までは遡る事が可能だし、それより前も好きだったと思う。
そんなわけで、チキン焼きました。
本当は男らしい丸鶏が好きだが、さすがに嫁と零歳児では食いきれないから足2本。スーパーで、1本690円の足を調達。300円くらいの足もあるが、ごちそうとしての食べ応えを望むと、だいたいこの価格だ。でかくて味も濃い。
選んでいる最中、店内で焼き立てのものも並べられていて、値段もそう変わらないので一瞬心が折れそうになったが、しかし俺がチョイスした鶏肉は調理済みには出てないものだったし、味付けがどうも店のものは甘過ぎて好きじゃないし、何より、家で焼きたてはやはり別格だからなと生のを買う。
焼き方。いろんな方法があるが、簡単なレシピを探して以下を参考にした。
参考 http://cookpad.com/recipe/470289
マーマレードと醤油と酒を3:3:1で混ぜ、ニンニクと生姜はチューブで済ませた。混ぜた液をビニール袋に入れ、足2本を入れ、揉んで馴染ませ、口を縛って30分放置。
オーブンは、200度25分にした。なんとなく。
結果。
香ばしい皮と、かぶりついた瞬間に肉汁が溢れるジューシーな肉、豊かな香り。店内調理品の温め直しではなかなかこうはならん。
すげー美味かった。
でも肉がすげえでかい上に、嫁が食いきれないとか言うから1個半食べたら、ちょっと食い過ぎで気持ち悪くなったのが無念。適量も味わいのうちか。
2008年11月5日水曜日
【吸血鬼ドラキュラ】ヴァン・ヘルシング!渋い!
ドラキュラって言われて最初に思い出すのが、♪ザマスザマスのドラキュラ・・・なわけですが。
ドラキュラは吸血鬼であり吸血鬼はドラキュラである、というくらいに有名なドラキュラだが、その実、もとの話は知らない。
吸血鬼を扱う創作物は多いが、いずれにせよ、そこには高い確率でドラキュラがおり、その場合は常に、神祖だとか王だとか、そういう至高のポジションにあるようなイメージだ。
で、その古典、ザ・オリジナルを読んでみた。
タイトルがずばり「吸血鬼ドラキュラ」。
なかなか・・・手応えあったよ。
1897年の作品ということだから、随分と古い。100年以上前だよ。現在は21世紀だというのに19世紀に書かれた小説。
カビ臭え。
・・・かと思いきや。
実は、最初に手にとった時に、訳本の出版年である1972年を原作の出版年となぜか勘違いしてしまい、「古典と思ってたけど結構最近の話なんだ」と思ったまま、読み終わるまでその勘違いに気付かなかった。つまり、それくらい、十分にエキサイティングだということだ。
全編が、登場人物の日記や手紙、電報その他の記録によって構成されているという面白い構成。
最初のうちは、英国の若き弁理士ジョナサンの日記がひたすら続く。希望に満ちた出張の旅が狂気に染まっていく様が見所だ。本の厚さのわりに進行が早いな、と思っていたら、その後、別の街、別の人間の語る話によって、トランシルバニアからロンドンに忍び寄る吸血鬼の影が徐々にその輪郭を顕して行く。
で、いったいどうなるのか、まさか波紋で闘うわけでもないだろうなあ、と思っていたら、登場するのがヴァン・ヘルシング博士だ。
これが渋い。爺なんだが、活気があり、慈悲があり、そして何より叡智がある。ある意味ガンダルフ的だ。萌えはないけど惚れる。
ドラキュラ伯爵は、怪力であり、気象を操り、人を操り、変化しと、その異能の力はいろいろ描写されるが、ヴァン・ヘルシングとジョナサンおよび愉快な仲間たちとの格闘シーンは少ない。
そのあたりは、まあバトル系メディアミックス小説などではないから仕方ないけどちょっと残念。
また、3人の美女吸血鬼がほとほと端役で、最期の描写もあっけないのも残念かなあ。これでは、映画で言ったらサービスカットのポロリのためだけに出てくるような存在に近い。
とは言え、たかだか1冊の文庫本のくせに道理で読むのが大変だと思ったら、最近のものより字が小さいようで、ページ数も500頁を超えるから、実際長かったみたい。1冊で一息に読むには、そういうオプション要素はあっさりせざるを得ないか。これ以上長かったら、さすがに気力が持たない。いっそ、5冊くらいでそれぞれ1本の長編になるくらいならそれはそれでアリかも知れないが。
しかし、何にせよ、思っていたより全然ハードで緻密な物語で、面白かった。
ところで、吸血鬼と闘う英国紳士のジョナサンには心当たりがあるが、なんというか、なるほど、ロマンホラー!真紅の秘伝説と言いたくなるような素地があると、読みながら感じた。この世界観に、より強烈な生命力を注ぎ込み、そこに荒木的化学変化が生じると、あんなんなるかなあ、と。
最初にジョナサン達に隠れ家を襲撃された際に、吸血鬼は言う。
「(前略)この俺に邪魔立てひろぐ気か?屠所の羊にさも似たる、その青ちょびれた面を並べ、どいつもこいつも後悔するな。(以下略)」
ああ、こんなところにもオマージュが。そういう発見があるのもまた面白かったり。
ドラキュラは吸血鬼であり吸血鬼はドラキュラである、というくらいに有名なドラキュラだが、その実、もとの話は知らない。
吸血鬼を扱う創作物は多いが、いずれにせよ、そこには高い確率でドラキュラがおり、その場合は常に、神祖だとか王だとか、そういう至高のポジションにあるようなイメージだ。
で、その古典、ザ・オリジナルを読んでみた。
タイトルがずばり「吸血鬼ドラキュラ」。
なかなか・・・手応えあったよ。
1897年の作品ということだから、随分と古い。100年以上前だよ。現在は21世紀だというのに19世紀に書かれた小説。
カビ臭え。
・・・かと思いきや。
実は、最初に手にとった時に、訳本の出版年である1972年を原作の出版年となぜか勘違いしてしまい、「古典と思ってたけど結構最近の話なんだ」と思ったまま、読み終わるまでその勘違いに気付かなかった。つまり、それくらい、十分にエキサイティングだということだ。
全編が、登場人物の日記や手紙、電報その他の記録によって構成されているという面白い構成。
最初のうちは、英国の若き弁理士ジョナサンの日記がひたすら続く。希望に満ちた出張の旅が狂気に染まっていく様が見所だ。本の厚さのわりに進行が早いな、と思っていたら、その後、別の街、別の人間の語る話によって、トランシルバニアからロンドンに忍び寄る吸血鬼の影が徐々にその輪郭を顕して行く。
で、いったいどうなるのか、まさか波紋で闘うわけでもないだろうなあ、と思っていたら、登場するのがヴァン・ヘルシング博士だ。
これが渋い。爺なんだが、活気があり、慈悲があり、そして何より叡智がある。ある意味ガンダルフ的だ。萌えはないけど惚れる。
ドラキュラ伯爵は、怪力であり、気象を操り、人を操り、変化しと、その異能の力はいろいろ描写されるが、ヴァン・ヘルシングとジョナサンおよび愉快な仲間たちとの格闘シーンは少ない。
そのあたりは、まあバトル系メディアミックス小説などではないから仕方ないけどちょっと残念。
また、3人の美女吸血鬼がほとほと端役で、最期の描写もあっけないのも残念かなあ。これでは、映画で言ったらサービスカットのポロリのためだけに出てくるような存在に近い。
とは言え、たかだか1冊の文庫本のくせに道理で読むのが大変だと思ったら、最近のものより字が小さいようで、ページ数も500頁を超えるから、実際長かったみたい。1冊で一息に読むには、そういうオプション要素はあっさりせざるを得ないか。これ以上長かったら、さすがに気力が持たない。いっそ、5冊くらいでそれぞれ1本の長編になるくらいならそれはそれでアリかも知れないが。
しかし、何にせよ、思っていたより全然ハードで緻密な物語で、面白かった。
ところで、吸血鬼と闘う英国紳士のジョナサンには心当たりがあるが、なんというか、なるほど、ロマンホラー!真紅の秘伝説と言いたくなるような素地があると、読みながら感じた。この世界観に、より強烈な生命力を注ぎ込み、そこに荒木的化学変化が生じると、あんなんなるかなあ、と。
最初にジョナサン達に隠れ家を襲撃された際に、吸血鬼は言う。
「(前略)この俺に邪魔立てひろぐ気か?屠所の羊にさも似たる、その青ちょびれた面を並べ、どいつもこいつも後悔するな。(以下略)」
ああ、こんなところにもオマージュが。そういう発見があるのもまた面白かったり。
カエルの小便よりも………下衆な!
下衆な波紋なぞをよくも!よくもこのおれに!
いい気になるなよ!KUAA!
てめえら全員亡者どものエサだッ!青ちょびた面をエサとしてやるぜッ!
2008年10月19日日曜日
ビフテキ ― アクロス・ザ・ボーダー
今日は、ビフテキだ。やっほう!
え?ビフテキって言い方は古いかい?
じゃあ今日はステーキだ!ひゃっほう!
え?今更ステーキくらいで喜ぶ時代じゃないって?
俺は喜ぶよ。肉料理で一番ステーキが好きだからな。
肉は、昨日の夜にスーパーに食パンを買いに行ったら発見した見切り品。消費期限が本日までで半額の国産牛(和牛ではないらしい)肩ロースステーキ305g@454円。お得じゃね?
ステーキなので作るのは簡単だ。焼くだけだ。
とは言え、もちろん塩と胡椒は必要だ。塩の代わりにクレイジーソルトを使う。とりあえずこれ使っとけば味が複雑になる。さらに、塩を足す代わりに科学の力、旨み調味料=味の素を振る。
こういうのを邪道と言うグルメな方も多くいらっしゃるようだが、俺は常に最高級の肉を食えるほどブルジョワじゃないんだからして、かけて旨くなるもんならかける。だいたい、アミノ酸の集合みたいな肉体で生きていてアミノ酸を添加することに何の抵抗も俺は感じない。
さて、しかし問題はやはり焼きだ。
あっためたフライパンにドカっと乗っけて、下面がほどよく焼けたらひっくり返してしばし。側面を見ても赤くなくなって来たし、ああ、これ以上焼いたらスカスカボソボソのウェルダーンになってしまう、とあわてて皿に移動。
ちなみに付け合せは、横で焼いていた冷凍ミックスベジタブルのみ。主食は食パン。いい。俺の妄想する欧米的食事そのもの。こういうの好き。
焼いてから、タレを作ろうと、ケチャップとソースをフライパンに適当に入れたが、なんとなくしょう油も足して挙句にバターまで乗っけてしまった。コッテコテここに極まれリだ。
だが、焼きに関しては俺は欧米人の固焼き傾向は受け入れられない。とにかくレアだよ。ロウ・フィッシュを常食する日本人としては、牛肉も半生こそ至高。
で、焼き過ぎてないよなあ、とドキドキしながら食ってみると・・・ンン!ベリナイス!
肉断面の上下1/3が焼けており中1/3は赤い、みたいな。俺的にベストな感じだ。
だがしかし、徐々に食い進み、端っこの、ちょっと厚みがある部分に差し掛かると・・・中身が、完全に赤い。さながらサシミよ。マグロ赤身と言われたら信じるくらい赤い。賞味期限もボーダーいっぱいなのに、こんなの食って大丈夫なんだろうか・・・?
実は、ステーキを焼くとしょっちゅう味わうこのスリル。結局、「まあ、外気に触れてたところに火が通ってりゃOKだろ」ということで食す。・・・実に柔らかい。そりゃそうよ、生だからな。美味い。けど少し不安・・・。
でも、今まで、牛豚鳥の肉の火加減で心配になったことはあるが、自分の料理で腹痛くしたのは、生焼けの秋刀魚を食った時だけなので、きっと俺の判定は大丈夫なんだろう。
でもちょっと心配・・・今度からもうちょっとよく焼こうかな・・・。
【マタンゴ】キノコ人間の恐怖、思いの外に名作
マタンゴー。
巨大キノコ、キノコ人間と言えばマタンゴ。それはもう中学生の頃から常識として知っていたが、実際にこの映画は見たことなかった。存在は知っていたけどあらすじも知らなかった。
それをツタヤでたまたま目にしたから見てみることに。
正直、期待はしていない。
昔の力作みたいだし、キノコ人間というネタが面白いから名高いだけで、まあ、昔なら少し受けたような安い特撮だろうと。でもレンタル半額だから見てやるか、くらいの。
で、期待せずに、メシを食いながらチラ見してたら、なんだよ!おもしれえよ!
1963年公開って、かなり古いんだけど、DVD向けになんかしたのか、画質は良い。で、嵐の海や難破船、無人島にキノコの特撮(敢えてSFXと言わず)が、思いの外にクオリティ高い。もちろん、現代のアレコレに比べればチープだが、第二反抗期のヒネクレ小僧みたいな見方をしなければ、十分に魅せてくれるレベルだ。当時の流れか、やや劇画チックな演技もまた良い。
因みに古い映画、特に邦画は、登場人物のファッションのダサさが目に余ることが多い気がしていたが、きっと流行が2周りくらいしてタイミングが合っているのだろう、意外とオシャレに見えてこれもまたよい。・・・まあ、一部の人物の、短パン(ハーフパンツじゃなくて短パン)に白ハイソックス(の、おっさん)と言うのなどは時代を感じるが・・・。
それにしても、ストーリーがまた良い。というか、これがかなり想像以上。もっとこう、荒唐無稽な話かと思っていたら、難破した7人の男女・・・これがまた、そもそも遭難する前から、「このクラスでは一番金のかかったヨット」でバカンスする御曹司や文化人など、「自分たちは陸にウロウロしているチンケな一般人とは違う」と言う勘違いな特権意識丸出しの連中で、もちろんその中では仲間の振りをしているが実際には見えざるヒエラルキーがあり、嫉妬と不信が渦巻いている。
いざ遭難すれば、自分だけが助かろうとするエゴ丸出しで無茶をするのが続出で、人間模様が実にうまく描写されている。というか、それが話のメインだね。キノコ人間は小道具に過ぎなかったようだ。
そして、予想を裏切る衝撃的な結末もまた良い。いやこれ、本当に良く出来てるよ。ネタとしてでなく、普通に名作として鑑賞できる映画だ。
巨大キノコ、キノコ人間と言えばマタンゴ。それはもう中学生の頃から常識として知っていたが、実際にこの映画は見たことなかった。存在は知っていたけどあらすじも知らなかった。
それをツタヤでたまたま目にしたから見てみることに。
正直、期待はしていない。
昔の力作みたいだし、キノコ人間というネタが面白いから名高いだけで、まあ、昔なら少し受けたような安い特撮だろうと。でもレンタル半額だから見てやるか、くらいの。
で、期待せずに、メシを食いながらチラ見してたら、なんだよ!おもしれえよ!
1963年公開って、かなり古いんだけど、DVD向けになんかしたのか、画質は良い。で、嵐の海や難破船、無人島にキノコの特撮(敢えてSFXと言わず)が、思いの外にクオリティ高い。もちろん、現代のアレコレに比べればチープだが、第二反抗期のヒネクレ小僧みたいな見方をしなければ、十分に魅せてくれるレベルだ。当時の流れか、やや劇画チックな演技もまた良い。
因みに古い映画、特に邦画は、登場人物のファッションのダサさが目に余ることが多い気がしていたが、きっと流行が2周りくらいしてタイミングが合っているのだろう、意外とオシャレに見えてこれもまたよい。・・・まあ、一部の人物の、短パン(ハーフパンツじゃなくて短パン)に白ハイソックス(の、おっさん)と言うのなどは時代を感じるが・・・。
それにしても、ストーリーがまた良い。というか、これがかなり想像以上。もっとこう、荒唐無稽な話かと思っていたら、難破した7人の男女・・・これがまた、そもそも遭難する前から、「このクラスでは一番金のかかったヨット」でバカンスする御曹司や文化人など、「自分たちは陸にウロウロしているチンケな一般人とは違う」と言う勘違いな特権意識丸出しの連中で、もちろんその中では仲間の振りをしているが実際には見えざるヒエラルキーがあり、嫉妬と不信が渦巻いている。
いざ遭難すれば、自分だけが助かろうとするエゴ丸出しで無茶をするのが続出で、人間模様が実にうまく描写されている。というか、それが話のメインだね。キノコ人間は小道具に過ぎなかったようだ。
そして、予想を裏切る衝撃的な結末もまた良い。いやこれ、本当に良く出来てるよ。ネタとしてでなく、普通に名作として鑑賞できる映画だ。
【ピーカン夫婦】文化か猥褻か
夫婦の間の倒錯した性生活をネタにしたシリーズもののビデオの第5作らしい。
と言ってもいわゆるAVではない。俺がAVを絶対に見ないとは言わないが、見たとしてもそれをこここでいちいち発表はしない。
これは・・・なんつうかピンク映画?エロティックドラマ?どう言っても、AVっぽいが、まあ、本作品はツタヤで、端っこのキッズが侵入してはいけない小部屋に隔離されているソフトではない、ということがそのポジションを語っているだろう。
ビデオのシリーズだが、この作品は劇場でも公開されて好評だったらしい。というか、その頃の寸評か何かを見かけたのが記憶にひっかかってたので借りた。
倒錯した、と言ってもいわゆるSMやスカトロや近親といったものではなく、普通は思いつきにくい性癖のこと。この作品では、青姦しか出来ない、それが好きなんじゃなくそれしか出来ないような女が登場。
人付き合いの下手なレコード会社の業界人が、内向きで非社交的な自分を変えたいと願い、変わって行くというのが話の骨子。その彼が出会い、結婚するのがその”外でしか出来ない女”なわけね。
エロシーンは数回登場するが、そう過激なものではない。むしろ、絵としてはどぎつさを除き、きれいに撮られている。とは言え、女が思い切り腰を振るような場面は、地上波のテレビでそのまま流せるレベルではないだろうが・・・。
評判通り、話は意外にも、なかなか面白い。
でも、この話からエロシーンをカットしたら、残りの話だけで楽しいか?と言われると微妙。しかし、もしもカットしたエロシーンの代わりに、メインのストーリーがもう少し掘り下げられたら、それでも十分に見ごたえのある話になるかも、とも思えた。
性に関わる物語を描くのは、なんのやましいところのあるものでもない。恋愛だって性があればこそ。キスや抱擁で終わる恋愛ストーリーにだって、暗黙の続きはあるわけで、あとはそれを画面に描くか否かだけの差とも言える。
それに、何だかんだ言っても、性衝動というのは、もっとも制御しがたい感情のひとつであり、もっとも普遍的な感情のひとつでありながら、もっとも抑圧されるものであるから、これはひとつ、何か描くには良い材料であるのは間違いないのだ。
とは言え、それを見せれば”エロ”であり、見せなければ”純情”だ。同じようなストーリーの、見せている部分が違うだけなのに。
同じ対象を見ても、見る者は全てを見ることは出来ない。そして、見る部分は人により違うから、同じ者を違うように受け取る。
そう、だから、エロシーンなど無い作品を見ても、脳内で濡れ場を補完できる人間は少なからずいるのだ。端的には、ある種の同人誌とかにそういうものを容易く垣間見ることが出来るだろう。
そしてそれが可能ならば、逆もまた可能なはずだ。
つまり、始まった瞬間から終わる瞬間まで何10分もひたすら濃厚なプレイしか無いようなハードコアなエロビデオを見て、その行為に至るまでの大恋愛を想像することもまた出来る筈なのだ。
・・・誰もそんなことしないだろうがな。俺もしようとも思わんしな。
まあ、そんなことはネタ話に過ぎないのだが、”健全な”映画と、”不健全な”映画の境界というのは、思うよりも複雑なものだと。
と言ってもいわゆるAVではない。俺がAVを絶対に見ないとは言わないが、見たとしてもそれをこここでいちいち発表はしない。
これは・・・なんつうかピンク映画?エロティックドラマ?どう言っても、AVっぽいが、まあ、本作品はツタヤで、端っこのキッズが侵入してはいけない小部屋に隔離されているソフトではない、ということがそのポジションを語っているだろう。
ビデオのシリーズだが、この作品は劇場でも公開されて好評だったらしい。というか、その頃の寸評か何かを見かけたのが記憶にひっかかってたので借りた。
倒錯した、と言ってもいわゆるSMやスカトロや近親といったものではなく、普通は思いつきにくい性癖のこと。この作品では、青姦しか出来ない、それが好きなんじゃなくそれしか出来ないような女が登場。
人付き合いの下手なレコード会社の業界人が、内向きで非社交的な自分を変えたいと願い、変わって行くというのが話の骨子。その彼が出会い、結婚するのがその”外でしか出来ない女”なわけね。
エロシーンは数回登場するが、そう過激なものではない。むしろ、絵としてはどぎつさを除き、きれいに撮られている。とは言え、女が思い切り腰を振るような場面は、地上波のテレビでそのまま流せるレベルではないだろうが・・・。
評判通り、話は意外にも、なかなか面白い。
でも、この話からエロシーンをカットしたら、残りの話だけで楽しいか?と言われると微妙。しかし、もしもカットしたエロシーンの代わりに、メインのストーリーがもう少し掘り下げられたら、それでも十分に見ごたえのある話になるかも、とも思えた。
性に関わる物語を描くのは、なんのやましいところのあるものでもない。恋愛だって性があればこそ。キスや抱擁で終わる恋愛ストーリーにだって、暗黙の続きはあるわけで、あとはそれを画面に描くか否かだけの差とも言える。
それに、何だかんだ言っても、性衝動というのは、もっとも制御しがたい感情のひとつであり、もっとも普遍的な感情のひとつでありながら、もっとも抑圧されるものであるから、これはひとつ、何か描くには良い材料であるのは間違いないのだ。
とは言え、それを見せれば”エロ”であり、見せなければ”純情”だ。同じようなストーリーの、見せている部分が違うだけなのに。
同じ対象を見ても、見る者は全てを見ることは出来ない。そして、見る部分は人により違うから、同じ者を違うように受け取る。
そう、だから、エロシーンなど無い作品を見ても、脳内で濡れ場を補完できる人間は少なからずいるのだ。端的には、ある種の同人誌とかにそういうものを容易く垣間見ることが出来るだろう。
そしてそれが可能ならば、逆もまた可能なはずだ。
つまり、始まった瞬間から終わる瞬間まで何10分もひたすら濃厚なプレイしか無いようなハードコアなエロビデオを見て、その行為に至るまでの大恋愛を想像することもまた出来る筈なのだ。
・・・誰もそんなことしないだろうがな。俺もしようとも思わんしな。
まあ、そんなことはネタ話に過ぎないのだが、”健全な”映画と、”不健全な”映画の境界というのは、思うよりも複雑なものだと。
2008年10月16日木曜日
【狂骨の夢】意外にも爽やか
京極堂シリーズは、遅ればせながら「姑獲鳥の夏」を読んでから、立て続けに読んだ。
姑獲鳥の夏は面白かった。戦後の混乱を背景にしつつ、何せ京極堂、関口、榎木津、木場、敦子、といった主要キャラの登場シーンの連続だけでも十分に楽しいし、また、妊婦/産科という・・・母と子の、幸せと無垢の象徴でありながら、ある種の非日常さを持つ存在を軸に、恐ろしくも悲しくそれでいてどこか美しい舞台は、甚だ魅力的だった。
で、その次の「魍魎の箱」(ハコの字変換で出ない)では、若いキャラクターを軸に、ナイーブな強面・”鬼の木場修”のロマンスも絡みつつ、京極堂の苦い過去もちらりと覗かせつつ、1作目とはまた少し違う雰囲気で面白かった。
で、この3作目。
今度は、魍魎の箱で、オマケ程度に登場していた”いさま屋”のトボけた味わいと、ゲストヒロインの朱美を軸に話は展開する。
最初は、おなじみの面々を差し置いて”いさま屋”の話が延々と続き、もの足りなさを感じた。が、話が進むにつれ、そのいさま屋と絡む(いや物理的にでなく)朱美の魅力が際立つ。謎多き女であり、暗い過去を背負っている様子でありながら、どこかサバサバとして気持ちのいい人物で、最初の怪しい登場から、読み進めるにしたがって、「この人が悪い人ではないように」という気持ちを抱かせるような。
その彼女の人物を浮き上がらせるのに、京極堂や関口のような濃いキャラではなく、トボけたいさま屋が適役なのだろうと、結局は理解した。
最後に大どんでん返しとかって感じよりは、徐々に徐々に「あれ?もしかして、こういうことか?だとしたら、なるほど、そういうことか?」と、事件の全貌を予想させておいて、最後に、そのもやっとしたものを、どうしようもない程にザクザクと切り刻み、白日の下にさらして「不思議なものなど何ひとつない」状態にしてしまう為に京極堂が現れる、と言うのはいつものパターン。
でも、今作は、前の2作品に比べると、いささか読後感がすっきりと明るい。それはやはり、朱美のキャラクターのせいだろうと思う。
怪奇譚が好きな一方でハッピーエンドが好きという、自己矛盾的な嗜好を持つ俺にとっては、狂骨の夢は、京極堂シリーズの中でも良い印象の作品となった。
もっとも、何人も死んでるしハッピーなわけじゃないんだがね、程度の問題というか比較の問題でね。
姑獲鳥の夏は面白かった。戦後の混乱を背景にしつつ、何せ京極堂、関口、榎木津、木場、敦子、といった主要キャラの登場シーンの連続だけでも十分に楽しいし、また、妊婦/産科という・・・母と子の、幸せと無垢の象徴でありながら、ある種の非日常さを持つ存在を軸に、恐ろしくも悲しくそれでいてどこか美しい舞台は、甚だ魅力的だった。
で、その次の「魍魎の箱」(ハコの字変換で出ない)では、若いキャラクターを軸に、ナイーブな強面・”鬼の木場修”のロマンスも絡みつつ、京極堂の苦い過去もちらりと覗かせつつ、1作目とはまた少し違う雰囲気で面白かった。
で、この3作目。
今度は、魍魎の箱で、オマケ程度に登場していた”いさま屋”のトボけた味わいと、ゲストヒロインの朱美を軸に話は展開する。
最初は、おなじみの面々を差し置いて”いさま屋”の話が延々と続き、もの足りなさを感じた。が、話が進むにつれ、そのいさま屋と絡む(いや物理的にでなく)朱美の魅力が際立つ。謎多き女であり、暗い過去を背負っている様子でありながら、どこかサバサバとして気持ちのいい人物で、最初の怪しい登場から、読み進めるにしたがって、「この人が悪い人ではないように」という気持ちを抱かせるような。
その彼女の人物を浮き上がらせるのに、京極堂や関口のような濃いキャラではなく、トボけたいさま屋が適役なのだろうと、結局は理解した。
最後に大どんでん返しとかって感じよりは、徐々に徐々に「あれ?もしかして、こういうことか?だとしたら、なるほど、そういうことか?」と、事件の全貌を予想させておいて、最後に、そのもやっとしたものを、どうしようもない程にザクザクと切り刻み、白日の下にさらして「不思議なものなど何ひとつない」状態にしてしまう為に京極堂が現れる、と言うのはいつものパターン。
でも、今作は、前の2作品に比べると、いささか読後感がすっきりと明るい。それはやはり、朱美のキャラクターのせいだろうと思う。
怪奇譚が好きな一方でハッピーエンドが好きという、自己矛盾的な嗜好を持つ俺にとっては、狂骨の夢は、京極堂シリーズの中でも良い印象の作品となった。
もっとも、何人も死んでるしハッピーなわけじゃないんだがね、程度の問題というか比較の問題でね。
リボルビング払いの誘惑
最初は、男らしい料理の記録を備忘録的に書こうと思って作ったブログだったのだが。
次いで、ちょうど暇になって、それまであまり縁がなかったTSUTAYAの会員になりDVDを続けて見たから映画の感想を書こうと思い、映画より本の方がと読書感想文?を書き。
もう、普通にブログとして何でも書けばいいや、とね。
俺はクレジットカード万歳派だ。
使える限り積極的にカードを使う。コンビニやスーパーで数百円の買い物でも、カード払いだ。
理由はいくつかある。
・小銭が溜まったりしない。お釣りのこととか財布の中身とか考えなくていい。
・銀行に行ってお金を下ろす必要もない。
・ポイントも溜まる。
良いことずくめだ。
社会人になってから特にカード利用が増えている(コンビニやスーパーのサインレス対応が進んだのも要因だ)ので、年会費無料のセゾンカードで、今まで何万円分の商品券をもらったかわからん。
俺はセゾンにはビタ一文とて利益を与えていないと思う。なのに、便利な思いをして、尚且つ金券まで貰ってる。世の中には美味しい話というのもあるものだ。
さて、しかし実際には、セゾンだってボランティアで俺に便利を提供してくれているわけじゃない。
ことあるごとに、ご案内が届くのだ。
とにかくリボルビング払いを使わせたくて仕方ないらしい。
一応説明しておくと、これは、月にいくら使っても、毎月同じ金額の請求が来る、つまり多く使った月の分が少なく使った月の請求に回されるという仕組みだが、ひらたく言えばローンみたいなものだ。当然、利子が付く。で、この利子こそがセゾンの利益だ。
だから、カード会社は執拗にリボを使わせようと、いかにリボが賢く計画的でゆとりを生むかを月に数回はDMなどで訴えてくるわけだ。
でもさあ。
多少出費がかさむ月があったからって、リボじゃないと払えないなんて時点で、人間として計画的じゃないしゆとりもないし、もちろん賢くもないし、やりくり上手でもないよなあ。どう考えても。本当に欺瞞だと思う。
で、結局、俺は今まで、学生の頃から10年以上クレジットカードを愛用しているが、「一括払い」以外の利用をしたことがない。一括払いには、一切の利子も手数料もないから、実際、俺は今までカード会社に1円も払ったことがない。年会費有料のカードも持ってないし。
なのに、今もまた2万円分くらいはポイントが貯まっている。
いやあ、くだらん甘言にさえ耳を貸さなければ、世の中にはうまい話も無いではないな。
次いで、ちょうど暇になって、それまであまり縁がなかったTSUTAYAの会員になりDVDを続けて見たから映画の感想を書こうと思い、映画より本の方がと読書感想文?を書き。
もう、普通にブログとして何でも書けばいいや、とね。
俺はクレジットカード万歳派だ。
使える限り積極的にカードを使う。コンビニやスーパーで数百円の買い物でも、カード払いだ。
理由はいくつかある。
・小銭が溜まったりしない。お釣りのこととか財布の中身とか考えなくていい。
・銀行に行ってお金を下ろす必要もない。
・ポイントも溜まる。
良いことずくめだ。
社会人になってから特にカード利用が増えている(コンビニやスーパーのサインレス対応が進んだのも要因だ)ので、年会費無料のセゾンカードで、今まで何万円分の商品券をもらったかわからん。
俺はセゾンにはビタ一文とて利益を与えていないと思う。なのに、便利な思いをして、尚且つ金券まで貰ってる。世の中には美味しい話というのもあるものだ。
さて、しかし実際には、セゾンだってボランティアで俺に便利を提供してくれているわけじゃない。
ことあるごとに、ご案内が届くのだ。
「大切なお客様へ」
「ゆとりのサービスを」
「ご利用ください。」
「計画的で無理のないお支払い方法です」
「やりくり自在の『リボ』をぜひご活用いただき」
とにかくリボルビング払いを使わせたくて仕方ないらしい。
一応説明しておくと、これは、月にいくら使っても、毎月同じ金額の請求が来る、つまり多く使った月の分が少なく使った月の請求に回されるという仕組みだが、ひらたく言えばローンみたいなものだ。当然、利子が付く。で、この利子こそがセゾンの利益だ。
だから、カード会社は執拗にリボを使わせようと、いかにリボが賢く計画的でゆとりを生むかを月に数回はDMなどで訴えてくるわけだ。
でもさあ。
多少出費がかさむ月があったからって、リボじゃないと払えないなんて時点で、人間として計画的じゃないしゆとりもないし、もちろん賢くもないし、やりくり上手でもないよなあ。どう考えても。本当に欺瞞だと思う。
で、結局、俺は今まで、学生の頃から10年以上クレジットカードを愛用しているが、「一括払い」以外の利用をしたことがない。一括払いには、一切の利子も手数料もないから、実際、俺は今までカード会社に1円も払ったことがない。年会費有料のカードも持ってないし。
なのに、今もまた2万円分くらいはポイントが貯まっている。
いやあ、くだらん甘言にさえ耳を貸さなければ、世の中にはうまい話も無いではないな。
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