2008年9月28日日曜日

【宇宙戦争】なんだかんだ言ってもトムは格好いい

スターウォーズに続いて宇宙戦争。同じようなことを言ってる気がするし実際そうなんだが、まったく違う内容だ。



これは、面白かった。PCで作業をしながら片手間に見てたのだが、途中からすっかりテレビの前に向き直って見てしまった。

つまるところ、地球をこっそりと監視していた宇宙人が遂に襲来し、その圧倒的なテクノロジーで人間を殺戮しまくる、さあどうする?という古典的な話だ。

古典的なのも当然、”SFの父”と呼ばれるH・G・ウェルズの古典的名作が原作なのでつまり古典なのだ。

多少ワイルドだが、離婚されてたまに元妻と子ども達に会っても不器用な接し方しか出来ない港湾労働者を演じるのがトム・クルーズ。今更聞いても何の新鮮味もない名前だが、やはり長く活躍するだけのことはある。普通に格好いいと思う。

反抗期の息子と情緒不安定な幼い娘を預かっている時に街が宇宙人に侵攻され、必死の逃避行をするというのが主なストーリー。

宇宙人は各地に現れて地球を侵攻しているので、各国軍が戦闘しているのだが、それはここではメインではない。

子ども達を守る、というそれだけを至上にして唯一の目的としたトムの逃避行がメインだ。途中、宇宙人に抵抗を試みる男に腰抜け呼ばわりされても、娘を(息子は若気の至りで途中で袂を分かつ)守ることだけに全てを捧げる姿は、国の為、地球の為という大儀とは違う何か大事なものを感じさせて感動を誘う。何かを守るということは、カッコよく玉砕すればいいと言うものではない、と。


最後、宇宙人が、蛸足のメカから地上の偵察に降りた際に水や食料を摂って、地球の細菌に感染したことで弱体化して地球の兵器に破れる、と言うのはやや合点が行かなかった。それだけの文明的な連中が、野蛮であることぐらいは受け入れるが、他所の星でおもむろに生水飲むか?現代地球人だって外国行ったら生水は自重するぜ。
まあ、そんな突っ込みどころはそれほど重要じゃない。逆転の目が出るギミックなんて適当に理由付けされてればいい。この作品の主眼はそこじゃないのだから。

トムを罵った自称レジスタンス(予定)の男は、「最後まで目を開いて何をすべきか考えているヤツが生き残る」とかいうことを言っていた。それは確かだと思った。もっともこの男は目を開いてられなくなって死ぬ羽目になるんだが。

一方トムは、積極的に撃って出る意思がまったくないことで、その男からも、たぶん息子からも腰抜けのように思われていたが、やはりそうではなく、娘を守るためにやらねばならないことを全力で考えていたということなのだ。結果、娘がトライポッドと呼称されるようになった巨大蛸足メカに捉われた時には自ら突撃し、偶然の助けも得ながら手榴弾で撃破を果たす。

突撃は、やるべき時にやることであって、そうでない時にやることではないと。これは単純だけど大事なことであり、また人々が忘れ易く、日常生活にも活かせる教訓であるなあ。

「やるしかないだろ!」仕事なんかでもそういう台詞を誰かが吐くシーンは、年に数回くらいはあると思う。ない?俺はあるけど。

でも、そこで考えるべきなのだ。それは本当に、勇気ある決断なのか、それともただの破れかぶれなのか。


小学校低学年?くらいの、情緒不安定な娘は、可愛らしいヒロインだったな。ませていて、かなり生意気な子どもなんだが、その実、必死に生きているような雰囲気が、徐々に健気さを感じさせる。それでこそトムが守ろうとする姿もまた活きる。


あと、ネタ的に面白かったのは劇中での噂話。停電により情報が遮断され、混乱する中で、舞台であるアメリカの人々は囁きあう。

「アメリカが最悪で、アジアもやられているがヨーロッパは無事らしい」
「ヨーロッパは跡形もないらしい」
「大阪(日本)では、トライポッドを何体か撃破したらしい」


噂ではあるが、その時点において、地球上で唯一、宇宙人相手に僅かながらの戦果を上げたのが日本であるという話。

俺が見た時点で察したのは・・・
ははーん。結局のところ、インディペンデンス・デイでもそうであるように、宇宙人のシールドを突破して通常兵器で倒すには、特攻しか無い。だから日本人は得意の奥義・バンザイアタックで倒すことが出来たということか。


と思ったのだが、さっき調べたら監督のスピルバーグ曰く、『大阪が倒せた理由?そんなの、日本人はアニメやオモチャでロボットに詳しいからに決まってるじゃないか!』だそうだ(Wikipedia)。

なるほど。それもまた一理あるな。

俺は簡単に人間を国でラベリングしたりするのは好まないが、日本には、ロボットについて他の国々の研究機関とは違う熱い眼差しを注ぎ続けている人々が数多くいることは確かに思える。そうでなければASIMOみたいな役立たずを巨費を投じて作ったり、本物の真面目に最先端的研究のためのロボットのデザインをアニメのメカデザイナに依頼したりはしないだろう。

http://www.kawada.co.jp/mechs/mk-II/index.html
↑HRP-3 Promet Mk-II ガンダムやパトレイバーの出渕裕がデザイン。無駄にカッコいい。


トムが出てくる映画に多いと俺が思い込んでいる、最後に大爆発でスカッと爽快系では無かったのだが、これはこれで、むしろ面白かった。

2008年9月27日土曜日

スターウォーズIII シスの復讐

見た。

相変わらず、あまりにメジャーな作品をあまりに遅まきに見るのがマイスタイル。違う。スタイルじゃない。見ようと思っているうちに数年が経過していたというだけだ。



いわゆるエピソード4~6は小学生時代、それもだいぶ小さい頃だったような。ジェダイの復讐の看板は記憶にあるけど、気楽に映画を見に行く歳じゃなかったから見ていない。
たぶん、俺とスターウォーズ本編との出会いは、そのジェダイの復讐が公開されるにあたって金曜ロードショーとか日曜洋画劇場とかそんなんで1、2が放映されたことによるのだろう。

同級生でも、多少知恵があって、特に兄がいるような連中は結構熱心に語っていたように思う。俺も、映画をテレビで見て、まあ普通に絵的に面白いなと思ったが、それほどでも無かった。なにせ外人はゴツいからな。レイア姫が俺の脳内の姫像と違っていたのがいけないのかも知れない。そんなこたないか。

そういうわけで、スターウォーズシリーズは面白いものという認識がありつつ、マニアのようにとりわけ入れ込むような興味は無かった。


さて、かなりの時を経てエピソード1が公開された時、俺は学生であった気がする。この時は、ストーリー云々よりも、あのSFが現代技術でやるとどれほど凄くなるのか、という点において強い興味があった。

それで、後に妻となる彼女と一緒に、珍しく劇場に見に行ったのだが・・・彼女の感想は、「話が少しもわからない」その他3つほどの、根本的な不満によって構成されていた。元々、SF、アニメ、ホラー、アクション、そういうジャンルの話には興味のない人間だったから仕方ない。曰く、「ぜんぶ嘘の話じゃん」。それ言っちゃ終わりだろうよ。

俺の感想はと言うと、これもやはり、さほどは面白くなかったのだ。普通にはエキサイティングだった気がするが・・・期待していたSFXが。

思うに、子どもの頃に見たスターウォーズのSFXは、もっとチャチだった筈なのだが、その後の記憶の中で、都合よくグレードアップされていたのだろう。俺はもともと、飛び去るウルトラマンのがツヤツヤで吊り下げている糸が見えていたからと言って、そんなことに突っ込みを入れて面白がる気質は薄かった。黒子は見えないもの、だったら見ない、という見方が出来る程度の度量は持ち合わせていた。

だから、エピソード1とエピソード4に、あからさまなSFXのクオリティの差を感じることが出来なかった。いや、よく見れば俺だって気づくが。

で、その後のスターウォーズシリーズには興味が薄れていたのだが、それでも、途中だけ抜けているのは非常に気持ち悪い。それで、その穴を埋める部分はDVDで鑑賞することにしていた。



で、ようやく、今回エピソード3を見たわけだが・・・まあ、ほぼ期待通り。豪華なSFXは豪華だけど、豪華なSFXだなあ、という以上の感慨はあまり持てず。

SFXで非現実的な映像が実現されている、という凄さと、その映像の情景が衝撃的に美しかったり格好良かったりする、というのは別だからな。

そういう意味じゃ、いかにヨーダのライトセーバー捌きが神業でも、「すごいなあ、でもヨーダはこのくらいするんだろうな」という感想しか持てないわけで、マトリックスのネオのブリッジ弾丸避けを初めて見た時のような「!」という感覚は持てない。


とは言えやはりSFXは全編通して圧巻で、あの馬面のメカニカル阿修羅マンみたいな敵とオビワンの決闘とか、ダースベイダーがちょん切れて炎に包まれながら呪詛の言葉を叫び続けるシーンなんか随分な迫力だったんだが・・・。

結論から言うと、やっぱりちょっとイマイチかなあ。

そもそも、話がわからん。評議会?元老院?ドゥークー卿?クローン?ドロイド?ダース・なんとか?そんな感じの、会話の中に頻繁に出てくる用語が、いちいち話の理解を妨げる。見ながら、PCを開いてWikipediaで調べ、ようやくふむふむ、なるほど、なんて感じで見ていた。

だから話は頭に入らんし没頭も出来ず、ただただ光線が踊る映像を楽しむといった感じになってしまい、しかしこういう凄絶な戦闘も、結局のところ、「彼らは何者で、何の為に、何故戦うのか」が見えない状態ではイマイチ感情移入できないので面白さ半減。

オリンピックだって、興味の無い国の興味のない選手の競技より、自国の選手が出ている、或いは、注目している選手が出ている方が面白いのと同じだ。

水泳の北島の優勝には日本中が沸いた(例外はここでは気にしない)だろうが、映像だけならそこらの市民大会でも、50mプールで8人の人間が平泳ぎをしている姿くらいは見ることが出来る。そんなものは見ても「ふーん」程度だろうが、それが斯くも人々に感動を呼び、飽き飽きするほどテレビで繰り返し流されたのは、あのレースに至るまでの背景がそれ以前に散々説明されていたから、北島がどういう背景を背負ってレースに臨むかという解説があったからだ。

そういう意味で、スターウォーズのSFXは凄い、だが、何の戦争だか誰なんだかわからん登場人物が戦っていても、雑技団のようにしか見えない、と言っては極端だが、でもそういう風に感じてしまうのだった。


ま、それでも普通に考えれば十分に面白かったのかな。

スターウォーズ、というブランドに期待値が大き過ぎて、「つまらない」という感想を持ってしまったのかも知れない。

ちなみに、終わる10分前くらいになって、「やっぱり俺はエピソード2は見ていなかったんだ」と気づいた。でも、もうそれはいいや。

【涼宮ハルヒの憂鬱】表紙には抵抗あったぜ

暇つぶしとして、DVDや映画というものは良いのだが、やはり本というのは素晴らしい。
通勤電車の中で、寝る前の布団の中でと、場所を選ばずにすぐ読める。

読もうと思ってから実際に読めるまでの立ち上がりの早さ、止めようと思った瞬間には0.1秒で終了できる、この意思に対する追随性は未だデジタル機器の及ぶところではない。

てなわけで、結局は映画よりも本の方が気に入ってしまって、随分と久しぶりにせっせと本を買っては読んでいる。

俺は本が好きそうだとよく言われるし、嫌いなつもりもないが、でも実はあんまり読んでない。仕事のための技術関係の本ならちょこちょこ読んでいたが、単純に楽しみのための小説なんかは・・・本当にここ15年で5冊も買ったかどうか。

ちなみに前にまとめて小説を買った記憶は、ガンダムI、II、IIIとゼータガンダム全6冊だったか?を読破した中学生時代にまで遡らなければならない。ひどい。野蛮人か。

それが、ここのところ、まあ勢いに乗っていろいろ読んでいるのはこれまでにも書いている通りなんだが。

今度はこれ。



涼宮ハルヒの憂鬱。

確か数年前に大ヒットしてたんだよな。当時、電車で隣のおっさんが呼んでいる新聞の書評欄にも出てたり、まあ結構あちこちでそのタイトルと「ただの人間には・・・」という有名なくだりが目に付いていたから、その存在は知っていた。

でも、そういう書評や例の台詞などからは、俺にはイマイチ面白さが読み取れなかったので、さほどの興味はなかった。

で、ある夕方、ストックしていた本も読み終えてしまったし、テレビはつまらんし・・・と、思い立ってGYAOを見たら、そのアニメ版の第一話がやっていたのだ。

で、暇つぶしに見てみた。

ら、なんと言うか・・・高校を舞台になんかやけに自己中な少女がぎゃーぎゃー言って、老成した少年が溜息を吐いているばかりといった印象で、やっぱり大して面白くなかった。よくある学園ラブストーリーにナンセンスギャグなのかな?と。


しかし、どうも何かこう、引っかかるというか、随分ヒットしたからには、これだけじゃないんだろ?という気持ちもあり、続きが気になるも二話以降は無料では見れなかったので―

買ってきたのが原作の1巻。まあ、昼飯程度の値段だから、かつての話題作を読んで、「やっぱ大したことねえな」で終わっても数時間潰せればいいのだ。


と、そんなノリで読み始めたのだが・・・これがなかなか・・・読み始めて間もなく、確かにアニメは原作に忠実だったのだろうが、主人公のモノローグをそのまますべて台詞にするわけにもいかないから適宜端折られてもいたわけで、そういったちょっとの差が、結構、俺には好意的に受け取れるギャップとなっていた。

まあ、これこそまさにライトノベルであるから、読みやすさは折り紙付きということでつらつらと読み進むにつれ、気持ちいいほどに期待通りに期待を裏切って結果期待通りに盛り上げてくれる展開。

たぶん多数派の感じ方を俺もしたのだと思うが、やはり、寡黙なメガネ少女・長門が主人公の「キョン」に正体を無理やり明かし、その胡散臭いにもほどがある稀有にして壮大な話を証明することになるくだり、とりわけそのいきなりで壮絶なバトルに、単純に心躍らしてしまったわけだ。

これをきっと多数派と感じたのは、読了後にネットでちらりと確認し、その「長門」が、かの「綾並」と双璧を成していると知ったからだ。そういう捉え方に、俺はすっかり常識人の振りをしても、やはり自分の中に頑として存在するオタク的センスを認めざるを得ないのはちょっと複雑な気持ち。



さて、とは言え、この話がとても面白かったのは、念のため声を大にして言っておくが、主要キャラであるところの3人の美少女(というかどんなジャンルであれ創作物に不細工少女など登場しないのが通例だ)のイラストに心惹かれたというような純粋に二次元LOVERな興味の為ではない、と主張したい。イラストは正直に言ってかわいいが、俺はこれでも、過去に人間のプラモデルはグフに付いて来たランバ・ラルくらいしか作ったことはない。

語り部であるところの主人公の少年は、もっとも古い記憶の時点でサンタクロースを信じておらず、にも関わらず「宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力や悪の組織やそれらと戦うアニメ的特撮的マンガ的ヒーローたち」との遭遇を待ちわびていた。


その感覚に、とにかく激しく同意できたのだった。


きっと、それほど珍しいことではないのだと思う。

だが、ともあれ、俺も確かに、4歳まで記憶を遡ってもサンタクロースの実在は一度も信じた覚えがないし、小学校ではクラス皆が心霊ネタで盛り上がっているときに、理屈を捏ねて水を差して白眼視され、くだらない錯覚と思い込みで夢見る連中をバカにしながらも、図書室で一番好きだった本は”世界の怪奇現象”みたいな本で、学生になってからもバイクであちこち出かけては「河童」だの「鬼」だの「環状列石」だの云うケッタイなキーワードを辿っていた過去がある。

人並み以上に怪奇現象を否定し、一方で少しばかり人並み以上にそれを追い求めていた。

そしてそういう感覚は、三十路を超えた今だって、完全に消え失せたか?と言えばそんなことはない。もちろん、分別のある歳だから、そんな願いが字句通りで叶うなんて思ってないが、「そんなことは無い」と知ることと「あったらいいな」と思うことは別だ。

日常風景で始まった物語があれよあれよという間に途方もないスケールの非日常に変わって行くストーリー、また主人公の軽妙な語り口もあって作品自体非常に面白いと思ったが、そこにさらにある種の郷愁を覚えるものだからか、まあ、端的に言えば嵌った。

シリーズで出ているが、どれもこれも表紙を飾るのはアニメ的な美少女画。中身は別にエロでも何でもないというか、むしろ少年ジャンプ程度のサービスシーンすらなく、この上なく健全なのだが、慣れがないと手に取るのに抵抗は少しあるな。あるんだけど、続きも買って来て読んでしまった。

2008年9月26日金曜日

【魍魎の匣】鳥口ちょっと軽薄

姑獲鳥の夏を読んですっかり気に入り、そのままシリーズの続きである魍魎の匣も読んだ。

これも、結論から言うと、かなり面白かった。払った金以上には十分に楽しめた。いまどき、舞浜あたりの張り切った遊園地に行けば1日で万単位の金が吹っ飛ぶのだ。ドライブしたってガソリンは高く、高速道路を1時間も走れば数千円が二酸化炭素やら何やら見えないものに化けてしまう。こんな時勢に、たかだか数百円でこんなに楽しんでしまって良いのだろうか、と心配になってしまう程度には楽しめた。俺は文庫1冊読むのに5時間前後はかかるからね。




さて、今回は前作より話も長くなっていたが、武蔵小金井(住んでいた)、相模湖(よく釣りに行った)などの、馴染みのある土地が頻出したのはまた良かった。舞台設定は戦後だから、俺の知っている景色がそのまま出て来たりはしないが、なんとなくの親近感は湧く。

関口は相変わらずいい感じに混乱しており、ゲストキャラが前作より若く女子高生(だけじゃないが)というのも興味深かった。もちろん、今時の馬鹿馬鹿しいギャルが出てくるわけじゃないし、ミステリのゲストなんてのは事件のおよそ当事者達なわけで当然後ろ暗い何かがあったりするわけだが、これが戦後復興期の女子高生のあった姿をどの程度現しているのせよしていないにせよ、主要キャラが三十路揃いのこのシリーズに一抹の瑞々しさを与えていたであろうことは間違いない。あー、ちなみに、美少女との描写はあったけど絵とかは無いからね、別に萌えるとかそういう意味じゃないよ。

ただ、話がより複雑になっていて、京極堂の憑き物落としも前回ほどの切れ味はなく(それは作中の本人達の事情によりだ)思え、すっぱりさっぱり爽快なものを嗜好する俺としては、姑獲鳥の夏の方がより面白かったとは感じた。

が、それを差し引いても、十分に面白かった。

「この世には不思議なことなど何もないのだよ」

俺も、ここぞという絶妙なシチュエーションで言ってみたいものだ。そんな機会が来るとも思えないが。

【姑獲鳥の夏】 食わず嫌いはいけない

京極堂、という語には覚えがあった。京極夏彦という作家の名前も知っていた。しかし、その著作を読んだことは一度も無かった。もちろん、名前は覚えているが読んだこと無い作家なんて、さして読書家でない俺においては毎日の抜け毛の数ほどもあるわけだが、それにしても京極夏彦には、むしろ良くないイメージを持っていた。

名前が売れてるがつまらないに決まっている。そう思っていた。人だか建物だかわからんが登場するものを自身の名前にするトンチキ振りに抵抗したのか、そうでも無いという気もする。今となってはさっぱり毛嫌いの理由がわからない。ただ機会がなかったのかも知れない。何せ、小説の類を頻繁に買ったのは中学生の頃のZガンダムくらいで、つまりその後10数年、活字文化とはアメリカとイスラームくらいに断絶していたからな。・・・断絶具合がよくわからない喩えだなこりゃ。

ともあれ、これまたどうしたきっかけだったか、電車で隣のおっさんが読んでいたか、仕事の合間にAmazonでレビューでも見たけたか、なんとなく書店に見つけて手に取り、「姑獲鳥の夏」を読んだ。



端的に感想を言うと、いやー、面白いなコレ。

最初、てっきりいわゆるオカルトなSFミステリ?みたいなものだと思っていた。最後には京極堂が文字通りの呪い(京極堂的な意味でなく)で、悪霊退散をやるのかと思っていた。それはそれで嫌いな話じゃないが、ただ、この京極堂の憑き物落としは、それよりも俺の趣味に合致していた。

疑似科学の排除。実に俺はこれに多大な関心を寄せており、一時期は熱心にいろいろ考えたりもしていた・・・考えただけではないのだが、まあ、考える以外に何をしたのかはここではどうでもいいだろう。

で、そんな自分の考え、見方にピタリと!では無いにしても、大筋において「だよな!」と合意しながら読み進められる、そんなヒーロー(と呼ぶべきかは疑問でもあるが)だったのだ、京極堂という人物は。

周囲の登場人物も魅力的だったが、とりわけ関口のキャラクターは出色だ。語り部であり、ある意味で最重要人物でありながら、作中によく出る単語で言えば「胡乱」きわまりない。鈍いような鋭いような、正直なような卑怯のような。愛すべきとは言い切れないが憎んだり見捨てたりする気は起きない。

この関口テイストがなければ、このシリーズはただの能書きだらけの嫌味臭いオナニー小説と成りかねない(言い過ぎであろう)のだが、それを絶妙に味わい深くしているのが、この冴えない、創作の主要登場人物にしてはあまりに冴えない青髭男・関口だと感じた。

この作者、やけに本が厚いのが多いが、文章はだいぶ読みやすく、すいすいとページが進む。厚さにフラストレーションを感じることなく最後まで読むことが出来た。



ちなみに、読んでから映画化されていることに気づいたが、あまり俺好みの味付けにはなっていなそうなので今のところそっちは手をつけていない。

2008年9月25日木曜日

【クビキリサイクル】頭の後ろが鉛のように

重い。

俺の仕事は一応、頭脳労働の一種だ(俺の頭脳が人より上等かどうかはともかく)。

だからこう頭に靄がかかっていては、とても仕事が進まない。いっそ少し寝るのが賢明か。


最近、電車の中が暇なので本を読むことにして、ここしばらくに数冊を読んだ。小説だ。


昨晩、一昨日買ったものを読み終えて、いや、その物語が終わりに近づくにつれ、俺の脳髄は沸々と・・・妙な熱が篭ってしまい、何の気力も萎え、朝、起きて出勤するのもいつも以上に億劫、億劫というか休みたいという気持ちでいっぱいいっぱい。

果たして、この三十路男にそれほどの衝撃を与える小説とは・・・。

・・・。


いや、普通にライトノベルなんだけどね。

難しい本は趣味じゃないし。


ちなみに、読んだのは「戯言シリーズ」とかいうらしい、その最初の「クビキリサイクル」。

首切り、サイクル?いや、たぶん、リサイクルだろうな、という予想は当たったのだろうと思っているが・・・どうなのだろう?

文庫版が出たからか、電車に広告があったのを覚えていて、なんとなくイマドキっぽいな、という興味で、たいした期待はせずに買ったけど、なかなかどうして、読んで見れば面白いではないか。
主人公はひどく絶望的に根暗でありながら妙な共感を呼ぶ、なんか風変わりな設定。




後からネットで評判を見たら、読んで気が滅入る人もいるらしい。嘘か本当か知らないが自殺した?とか。


だがしかし、俺はもはや感じやすい少年少女ではないからなあ。いくらなんでもそこまで影響受けたりはしない、当たり前だが。

脳の後ろ半分が鉛に置き換わってしまっかのように重いのは、物語に衝撃を受けたからではなく、単に面白かったから4:35AMまでかけて読んでしまったため、猛烈に寝不足なせいだ・・・ああ、眠。


広告や表紙の絵になっていた、玖渚という変わった名の少女は、主人公ではなくサブだったようだ。読み始めた時は絵で見た印象の可憐さとは違うな、とギャップを感じたが、読み終わる頃には結構な愛着を感じてしまった。まんまと作者の思う壺なのか?

それにしても、最近のこの手の小説の傾向なのか、一見現代のようでありながら、謎の機関や組織がいくつも暗躍する世界設定はもう滅茶苦茶だ。しかし、よく考えてみれば、それなら遠くの銀河で宇宙艦隊がビームを撃ち合うのは滅茶苦茶ではないのか?と言われれば、それもやっぱり無茶なわけだし、三毛猫が探偵するのも、竹から生まれた人間が月へ帰るのも、爺婆の垢が人間になるのも、みんな滅茶苦茶なのだ。

ドキュメンタリーじゃない物語の舞台設定など、如何様にでも滅茶苦茶であればよいと思う。



さて、最後に、もう少し具体的な感想を述べておくと・・・一応ミステリの範疇にあると思われる作品なので、当然のように人死が出るし、それに続くドラマがあるわけだが、その中で、

「人を殺してはならない。絶対に殺してはならない。そんなことに理由はいらない」

主人公が吐いたこの台詞には、ちょっとぐっと来るものがあった。
いや、この主人公は、そう単純に熱血で心優しいわけではないのだ。そういう文脈があってのこの台詞である。単純に文字通りに受け取るべきではない、と理解した。

その上で、俺は妙な納得を見出した。それは少なくとも、いつだか2時間スペシャルのサスペンスドラマで熱血刑事が犯人を諭していたような言葉よりは、ずっと納得できるものだと思って感心した。

ま、そんなこんなで、面白かったな。



ちなみに今まで俺はあんまり、漫画や本(特に小説)は買わなかった。

実は、実家にいた頃から、家族の買ったものなどをうっかり読み始めると、途中で止められなくなって、朝になってしまうことが多く、健康に悪いので買わないようにしたのだが・・・うーん、多少歳とっても直らないな、こういう性質は。

2008年9月13日土曜日

豚生姜焼き

ここのところ、メシがカップ麺とかそうめんのみとか続いていたので、休みなことだし肉でも食おうとスーパーを物色し、生姜焼き用豚肉半額を買って来た。

生姜焼き用を買って来てしまったからには生姜焼きを作るしかあるまい、ということで作り方をググる。例によって、いくつかを流し読みして自分に都合よく解釈し、作業開始。

以下、実践した手順。いつものことだが、他人には薦めない。自分の備忘録である。

1.豚肉は250gくらいあった。ロースやや厚7枚。いわゆる生姜焼き用。
2.タレ作る。酒を大さじ1、みりんを大さじ1、醤油を大さじ1.5。チューブ生姜とチューブにんにくをなんとなく「ひとかけら」とイメージするくらいの量。しょうがのひとかけらって結構個体差がありそうだが、…3cmくらいは出したかなあ。にんにくはその半分くらい。
3.そのタレにタマネギ半分をすりおろして入れる。しかし実際は、さらにその半分ほどしか使ってない。持つところが必要だったし。
4.ビニールに肉とタレを入れて、馴染ませ、口を折って冷蔵庫へ入れた。
5.およそ30分後、メシが炊けたので肉を焼き始める。フライパンにはごま油を少しひいた。
6.いただきます。


感想。

うまかったにはうまかった。一気食いしてしまった。
ただ、一気食いして見ると、

・ニンニクは不要だったな。うまいと言えばうまいが、生姜焼きは生姜があればよいと思った。入れるにしてももっとささやかで良いだろう。

・タマネギも不要だった。そういう生姜焼きもあるんだろうが、甘ったるくなって、おそらくその粒状のタマネギのせいか口当たりもほんわかして、俺の求める生姜焼きとは違った。もっとピリっとしてこそ、マヨネーズとの相補関係が引き立つのだと。

・肉は、面倒でも、タレに漬ける前にはちゃんと広げておいた方がいい。タレが馴染まない場所が出るし、焼くときに広げるのに手間取ると焼きムラが出た。


まあ、ほどほどには美味かった。