これを読もうと思ったきっかけは何だろうな。
これまでも、適当に思いついたものを手にとっているだけだが、適当に思いつくというのはつまりそれなりの理由があるということだ。
今回はアレだな、たぶん。
まず、俺はそもそもファンタジーは好きだ。とんとご無沙汰だが、ファイナルファンタジーはXIIまで、ドラゴンクエストはVまではやった。指輪物語は映画化前に読んでいたし、その前身の「ホビット」は原著で読んだくらいだ。
で、ブレイブ・ストーリーの作者、宮部みゆきは、俺がここのところ立て続けに読んだ京極夏彦と同じオフィスに所属しているようなので、最近ちらちら名前を見ていた。そして、この作品の映画化が少し前にあったから、その作品名も記憶していた。
そんな感じで、「まあ、それなりにヒットしたからには面白いんだろう」くらいの期待で手に取った。
なんとなく、少年がファンタジー世界で冒険する物語ということは知っていて、まあ、大人も楽しめる少年向けのお話かと気楽に構えて読み始めた。
ところが。
文庫版なので、上・中・下の3分冊だが、その上の大半が終わるまで、主人公はファンタジーな世界での活躍をしない。剣も魔法も殆ど無い。
では、何が描かれているのか?
それは、小学生の主人公の日常と心理の描写である。だが、それは、往々にして大人がこうであれと思うような、都合よく無垢で鈍感にデフォルメされたものではない。
理想の家庭を築こうとするあまり視野狭窄に陥り、”中流”な自分に比べて”品の無い家庭”の子どもやおじさんを卑下して息子から遠ざけたがる母親。
家庭から心が離れてしまった、理屈屋の、”大人の考え方”を盾にしてその実は甚だ子ども染みた身勝手を行う父親。
嫁を孫を傷つけても、最後は息子が可愛い祖母。
小学生を生活にだって否応なく存在する、同級生、上級生、そして父母の影を交えた政治的な現実。
無力で脆弱だが、大人の事情だって決してわからないわけではない―例え、それを理路整然と説明は出来なくても肌は感じている―子どもの葛藤。
もう、痛々しいことこの上ない、いや、むしろリアル過ぎてドライなまでの、子どもの苦悩の描写が続く。
読み進めながら、あれ、おかしいな、冒険活劇じゃなかったのか?という疑問やじれったさを感じる一方で、主人公・ワタルの至らないながら痛みを伴う現状把握に、そう、そうだよなと。
俺だって、そりゃまあ普通と言える家庭には育ったが、小学生も後半になれば、大人が、親も、先生も、決してすべてにおいて正しい人間ではなく、明らかに誤った知識を持ち、誤った思考をし、そして政治的、暴力的な力の上下関係の中で不正に屈服しながら、自己正当化と保身に身を砕きながら、そのくせ俺の―子どもの前では、自分はすべてにおいてお前よりは正しいのだと言う顔をして説教を垂れ、それが破綻すれば暴力で威嚇して無理を通すと、そんなことには薄々、時にはっきりと、気づいていた。
それでも、そんな大人の欺瞞に対して、暴力で対抗する体力も、理屈で論破する知力も足りなかったから、ごめんなさい、僕が間違っていました、もうしませんと頭を垂れなければならなかった。その時流していた涙は、怒鳴り声や拳骨が怖かったからでも、自分の過ちを悔いていたからでもない、ただ、その大人を説き伏せられない、殴り倒せない、自分の無力が悲しくて口惜しくて涙が溢れていたのだ。
と、まあ、そんなこともきっと、みんなそうだったのだろうなあ、と自分が大人になった今は笑って許してやろうかと思っているが、それでもその気持ちを覚えているから、ワタルの家庭が破綻していく中での葛藤の描写には、ぐいぐいと引きこまれた。
さて、中巻以降は、ようやく幻界なる異世界での冒険となる。剣と魔法と異形の世界だ。
しかし。
ここで描写されるのも、差別、貧困、政治と腐敗、信仰とカルト。そして個人の内なる悲しみと憎しみ。目的の達成とその代価。誰かの幸せと他の誰かの不幸。
冒険活劇としての盛り上がりも十分ではあるが、それにしてもその背景は徹頭徹尾、シビアな話の目白押し。
これは、想像していたのとは違った。もっとライトな話だと思っていたのに。
しかし、それはつまり、想像していたのより、ずっと面白かったということだ。
小学生が、異世界へと旅立って冒険をする。と、短く言ってしまうにはあまりにもったいない話だ。
みんなの全ての苦しみを取り除くようなことは出来ない、という残酷な回答。しかし、それは同時に、人は苦しみすらも我が物として乗り越えることが出来得るという希望でもあると。
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