2008年9月29日月曜日

【クライマーズ・ハイ】谷川岳に登りたくなった←単純

少し前、夏に読んだのだが。

クライマーズ・ハイって言うくらいだから、登山家が遭難でもする話だとばかり思っていた。表紙は知っていて、そこに山が描いてあったし。小さく飛行機が飛んでいることはワンポイント程度のものとしか思っておらず。

実際には、これは御巣鷹山の日航機墜落事故の話だった。



と、いうことを知ったのは、この夏に映画が公開されるにあたり、CMを見たからだ。


そうと知って、ちょっと興味を覚えた。あの事故の時、次々とニュース速報が流れ、やがて特別番組が組まれて行くのを、俺は子ども時代の思い出として記憶している。

家族と「行方不明」と繰り返されるテロップを見ながら、小学生ながら現実志向だった俺は、「いや、どう考えてももう落ちたよ、ジャンボ機が行方不明なんかない」と軽く興奮しながら他人事のようにヘラヘラと語ったものだ。実際他人事だしな。

数日後、当時勢いのあった写真週刊誌がこぞって事故現場の写真を掲載すると、クラスに一人二人はそれを購入して学校や友人宅に持ってきて、「こえー!」「死体が写ってる!」と大騒ぎだったのを覚えている。

芸能人が自殺した時もそうだったが、俺は、しかし、そういう写真を楽しく眺める気にはならなかった。一応、ちらりと目に入れたような気がする。しかし、何が写っていたか、まったく記憶がない。白黒写真で、山だった。それしか覚えがない。

俺は忘れ物などは多いが、結構古い子ども時代の記憶もしっかり持っている方だと思う。でもその写真の内容は、枯れ木の山の白黒写真、としか覚えていない。そんな筈はないのだが。拒否していたのだと思っている。

俺は、500人からが死んだって、他人事の事故ならば、いつでも地球上では大勢の人間が死んでいる、ちょっと場所とタイミングが偏っただけ、と思うことも出来る。そういうつもりだった。しかし、写真に個人の死体を認めたら、その事実を、どこか遠くの話として置いておくことが出来なくなる気がしたのだろう。

ま、そもそも、交通事故現場も何も見るのは嫌いだったから、単に死体が怖かったのかも知れない。


さて、そんな遠い思い出もあるこの、史上最悪な航空機事故。

この作品は、この事故そのものではなく、事故を追う地方新聞社の内幕を描いたドラマだ。


正直、常日頃から、事故や災害を取材する新聞社を始めとするマスコミには、反吐が出る思いだ。報道の自由だの知る権利だのと美辞麗句を並べ、やっていることは、部外者が知る必要もないような不幸を晒し者にするために、苦境にある人々の心に土足で踏み込む屑どもだと思っている。実際、心どころか被災者の家に土足で踏み込むような連中も少なからずいるらしいしな。

それを、せいぜい小奇麗にまとめるつもりなんだろうか・・・と、そんな疑念も持ちながら読み始めると、これが全然違っていた。

全然、綺麗ではない。まさにその問題を突いていた。功名心とエゴを小賢しい理屈で武装する記者。しかし、それだけなわけでない、理由があれば何をしても許されるわけではないが、しかし理由もなく非道を行うわけでもない、と、そんなことが描かれているように思えた。


話が始まった頃には飛行機はもう落ちていて、舞台の大半は新聞社のビル内。ある意味で、とても地味。しかし、最後まで、非常な緊迫感をもって話はぐいぐいと展開する。その一方で、過去に傷を持つ友人、すれ違ってしまった息子との対話、そういったものが緩急を与えているから、途中で飽きたりもしなかった。

それに、飛行機は最初から落ちちゃってるから、500人からの犠牲者は生き返りはしないし、それはそれで暗い陰となるのだが、それでも読後感は爽やかという、随分アクロバチックな話になっている。それが凄いと思った。



ま、そう、結論を短く言うと、とても面白い。

あまりに面白かったので、映画を見るのは止めたくらいだ。これでは、2時間くらいの映像では、劣化コピーにしかならないんじゃないか、と思って(見てないから実際どうだかは知らない)。


そう、この小説は素晴らしい。



だが、それだけじゃなかった。

読み終わってから、事故に関する情報を改めてちょっと調べた。Wikipediaなどで手っ取り早く。そうしたら、とても辛い気持ちになった。小説とはもう切り離れたところで、つらさを感じた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
↑外部リンクなどまで見てしまう激しく辛い

挙句、生存者の証言まで読むにあたって、仕事中にも関わらず、俺は終に落涙した。



どうしようもなく絶望的な状況で、自分に何の咎も無く、また何の術もなく、それでも人間は、人間足り得る。自分ではなく、他人の心配をしてやることが出来る。そして、一縷の、本当に僅かな、それこそ奇跡としか呼べない希望を、捨てないでいることも出来る。

改めてこの事故の手記や遺書を目にしたとき、俺は人間の気高さというものに対し、畏怖に近い感動を覚えた。

もちろん、事故自体は、あってはならないものだった。全国のお茶の間の涙を誘うためなんかに500人からが命を投げ打ったわけじゃない。

それでも、その痛みは、また少し人間を、知性を持ってしまった以上あるべき姿に近づけたのだと思う。

20年以上が経ち、あまり大きな犠牲を代償に得た教訓は、完全に活かされているとは言えないのだろうが、しかし、何にもなっていないわけじゃない。



最後に、事故現場は、当時「御巣鷹山」と言われていたが、正確には「高天原山」だそうだ。

”高天原”といえば、神話において神々の住まう処であろう。そんな地名が何の鎮魂になろうか、とも思うが、それでも、せめて。

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