2008年9月26日金曜日

【姑獲鳥の夏】 食わず嫌いはいけない

京極堂、という語には覚えがあった。京極夏彦という作家の名前も知っていた。しかし、その著作を読んだことは一度も無かった。もちろん、名前は覚えているが読んだこと無い作家なんて、さして読書家でない俺においては毎日の抜け毛の数ほどもあるわけだが、それにしても京極夏彦には、むしろ良くないイメージを持っていた。

名前が売れてるがつまらないに決まっている。そう思っていた。人だか建物だかわからんが登場するものを自身の名前にするトンチキ振りに抵抗したのか、そうでも無いという気もする。今となってはさっぱり毛嫌いの理由がわからない。ただ機会がなかったのかも知れない。何せ、小説の類を頻繁に買ったのは中学生の頃のZガンダムくらいで、つまりその後10数年、活字文化とはアメリカとイスラームくらいに断絶していたからな。・・・断絶具合がよくわからない喩えだなこりゃ。

ともあれ、これまたどうしたきっかけだったか、電車で隣のおっさんが読んでいたか、仕事の合間にAmazonでレビューでも見たけたか、なんとなく書店に見つけて手に取り、「姑獲鳥の夏」を読んだ。



端的に感想を言うと、いやー、面白いなコレ。

最初、てっきりいわゆるオカルトなSFミステリ?みたいなものだと思っていた。最後には京極堂が文字通りの呪い(京極堂的な意味でなく)で、悪霊退散をやるのかと思っていた。それはそれで嫌いな話じゃないが、ただ、この京極堂の憑き物落としは、それよりも俺の趣味に合致していた。

疑似科学の排除。実に俺はこれに多大な関心を寄せており、一時期は熱心にいろいろ考えたりもしていた・・・考えただけではないのだが、まあ、考える以外に何をしたのかはここではどうでもいいだろう。

で、そんな自分の考え、見方にピタリと!では無いにしても、大筋において「だよな!」と合意しながら読み進められる、そんなヒーロー(と呼ぶべきかは疑問でもあるが)だったのだ、京極堂という人物は。

周囲の登場人物も魅力的だったが、とりわけ関口のキャラクターは出色だ。語り部であり、ある意味で最重要人物でありながら、作中によく出る単語で言えば「胡乱」きわまりない。鈍いような鋭いような、正直なような卑怯のような。愛すべきとは言い切れないが憎んだり見捨てたりする気は起きない。

この関口テイストがなければ、このシリーズはただの能書きだらけの嫌味臭いオナニー小説と成りかねない(言い過ぎであろう)のだが、それを絶妙に味わい深くしているのが、この冴えない、創作の主要登場人物にしてはあまりに冴えない青髭男・関口だと感じた。

この作者、やけに本が厚いのが多いが、文章はだいぶ読みやすく、すいすいとページが進む。厚さにフラストレーションを感じることなく最後まで読むことが出来た。



ちなみに、読んでから映画化されていることに気づいたが、あまり俺好みの味付けにはなっていなそうなので今のところそっちは手をつけていない。

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