2008年9月28日日曜日

【悪魔が来りて笛を吹く】悪くない。むしろ良い。

「悪魔が来りて笛を吹く」を読んだ。犬神家の一族で初めて金田一シリーズを読んで、いまいちハマれなかったのだが、この本は同時に買ってしまっていたので仕方なく読んだ。

最初に結論だけ言ってしまえば、こっちの方が面白い。この作品は、金田一シリーズの中でも異色らしいから、異色の方が気に入るとなると、やはり金田一シリーズは俺には馴染まないのかも知れない。



旧華族の屋敷を舞台にして、犬神家の時と同様に、忌まわしい血の・・・直截に言えば近親相姦の秘密など、と戦後の混乱がカオスな事件を呼ぶわけだ。

相変わらず、金田一はそこはかとなくムカつく。好きになれない。
ちょっと失礼気味だが今風に表現すれば天然というヤツで周囲に好意を抱かせる、という設定なのだろうが、そもそも俺が普段から「天然」などと称されるような人物を嫌うせいだろうか。読みながら端々で、「お前ふざけんなよ」と突っ込みたくなる感覚がある。絶対に友達になれない。


だが、こっちの作品では、犬神家とは決定的に違う要素が一つあった。

物語には欠かせない、事件の中心近くで苦悩している、金田一が救うべきヒロインだ。

犬神家のヒロイン、珠代は、「絶世の美女」と章のタイトルで言い切られるほどの存在でありながら、悲劇の匂いを感じて沈みながらも流され、最後にはすべての種明かしの後に王子様(ちょっと汚れてるけど)が現れて救われるという役どころだった。それが、俺にはさしたる感動を呼ばなかった。

「悪魔が来りて笛を吹く」の方のヒロイン・美禰子は、ちょっとそれとは違う。

作品中の描写を借りよう。

「二十前後の若い婦人で、黒いスカートにデシンのブラウス、ピンクのカーディガンに髪をショート・カットにしていて、ちかごろのその年頃の婦人としては、かなり地味な方である。容貌はお世辞にも美人とはいいにくい。」


絶世の美人と登場前から断言された珠代に比べ、随分な扱いだ。横溝正史もなかなか言う。おでこだ、眼が大き過ぎだ、頬と顎がこけてる、あげくは「気味悪いウィッチのよう」などと否定的な描写が続く。嫁入り前の娘に対して言い過ぎじゃないか、横溝よ?

しかし、父が失踪し、その父に犯人の嫌疑もかかる中で、美禰子は繊細な精神を以って真実を明らかにするための最善を尽くす。だからこそ、金田一の元へ依頼にも行った。

全編を通して、人でなしか腰抜けか犯罪者ばかりの屋敷の中で、ただ一人、恐怖に震えながらも眼を開いて考えている姿は胸を打つものがある。

話が進むにつれて、彼女の立ち居振る舞いが「いかめしい」のは、環境、父が失踪(自殺)をする前から母は精神を病んでおり、浅ましい血族に囲まれて生活する中でそうせざるを得なかったという背景も明かされる。

二十そこそこの娘には辛過ぎる境遇である。

そうなれば、それを助ける金田一も、相変わらず好きにはなれないが応援する気になって来るというものだ。

その健気さは、折りにつけヒロインの容貌や雰囲気を非難していた金田一(横溝)にも、

「まえにも言ったように美禰子は美しくない。(中略)しかし、いまこうしてしょんぼりと、肩を落としているところを見ると、やはり娘らしく可憐なところもうかがわれる」


と、苦しいながらいくばくかの上方修正というかフォローを与えさせるほどだ。

そうだろう、そうだろう、と同意したね。俺はこれでも想像力はだいぶ豊かだと自認している。挿絵などなくても登場人物の容貌くらいは描写の範囲を守って思い描きながら話を読む。そして俺の脳内に構築された美禰子なる人物は、確かに皆が認める美人じゃなくとも、信じて守るに値する魅力を備えていたからだ。

つまるところ、読者が・・・いや、正確には俺が、何がしか感動を覚えるセッティングというのが見えてきた気がした。

つまり、弱い者が、弱いながらその持てる力で、震える足を叱咤しながら立とうという、そういう姿に心打たれるのであって、それが、少女とそれを救うヒーローというステレオタイプに嵌っていれば尚単純に良い。って、あれ、随分普遍的な気もするなこりゃ。






ちなみに。

地味なカーディガン姿にショートカットと言う姿、程度はともかく感情の抑制とその限界の訪れという状況が、先に触れているライトノベルのヒロインに似ているという件は、少し気になるがあまり重要じゃない。

なぜなら、実際に読んだ順番はこちらの方が先だからだ。

いや、もしかしたら、重要なのかもな。

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