2008年9月25日木曜日

【クビキリサイクル】頭の後ろが鉛のように

重い。

俺の仕事は一応、頭脳労働の一種だ(俺の頭脳が人より上等かどうかはともかく)。

だからこう頭に靄がかかっていては、とても仕事が進まない。いっそ少し寝るのが賢明か。


最近、電車の中が暇なので本を読むことにして、ここしばらくに数冊を読んだ。小説だ。


昨晩、一昨日買ったものを読み終えて、いや、その物語が終わりに近づくにつれ、俺の脳髄は沸々と・・・妙な熱が篭ってしまい、何の気力も萎え、朝、起きて出勤するのもいつも以上に億劫、億劫というか休みたいという気持ちでいっぱいいっぱい。

果たして、この三十路男にそれほどの衝撃を与える小説とは・・・。

・・・。


いや、普通にライトノベルなんだけどね。

難しい本は趣味じゃないし。


ちなみに、読んだのは「戯言シリーズ」とかいうらしい、その最初の「クビキリサイクル」。

首切り、サイクル?いや、たぶん、リサイクルだろうな、という予想は当たったのだろうと思っているが・・・どうなのだろう?

文庫版が出たからか、電車に広告があったのを覚えていて、なんとなくイマドキっぽいな、という興味で、たいした期待はせずに買ったけど、なかなかどうして、読んで見れば面白いではないか。
主人公はひどく絶望的に根暗でありながら妙な共感を呼ぶ、なんか風変わりな設定。




後からネットで評判を見たら、読んで気が滅入る人もいるらしい。嘘か本当か知らないが自殺した?とか。


だがしかし、俺はもはや感じやすい少年少女ではないからなあ。いくらなんでもそこまで影響受けたりはしない、当たり前だが。

脳の後ろ半分が鉛に置き換わってしまっかのように重いのは、物語に衝撃を受けたからではなく、単に面白かったから4:35AMまでかけて読んでしまったため、猛烈に寝不足なせいだ・・・ああ、眠。


広告や表紙の絵になっていた、玖渚という変わった名の少女は、主人公ではなくサブだったようだ。読み始めた時は絵で見た印象の可憐さとは違うな、とギャップを感じたが、読み終わる頃には結構な愛着を感じてしまった。まんまと作者の思う壺なのか?

それにしても、最近のこの手の小説の傾向なのか、一見現代のようでありながら、謎の機関や組織がいくつも暗躍する世界設定はもう滅茶苦茶だ。しかし、よく考えてみれば、それなら遠くの銀河で宇宙艦隊がビームを撃ち合うのは滅茶苦茶ではないのか?と言われれば、それもやっぱり無茶なわけだし、三毛猫が探偵するのも、竹から生まれた人間が月へ帰るのも、爺婆の垢が人間になるのも、みんな滅茶苦茶なのだ。

ドキュメンタリーじゃない物語の舞台設定など、如何様にでも滅茶苦茶であればよいと思う。



さて、最後に、もう少し具体的な感想を述べておくと・・・一応ミステリの範疇にあると思われる作品なので、当然のように人死が出るし、それに続くドラマがあるわけだが、その中で、

「人を殺してはならない。絶対に殺してはならない。そんなことに理由はいらない」

主人公が吐いたこの台詞には、ちょっとぐっと来るものがあった。
いや、この主人公は、そう単純に熱血で心優しいわけではないのだ。そういう文脈があってのこの台詞である。単純に文字通りに受け取るべきではない、と理解した。

その上で、俺は妙な納得を見出した。それは少なくとも、いつだか2時間スペシャルのサスペンスドラマで熱血刑事が犯人を諭していたような言葉よりは、ずっと納得できるものだと思って感心した。

ま、そんなこんなで、面白かったな。



ちなみに今まで俺はあんまり、漫画や本(特に小説)は買わなかった。

実は、実家にいた頃から、家族の買ったものなどをうっかり読み始めると、途中で止められなくなって、朝になってしまうことが多く、健康に悪いので買わないようにしたのだが・・・うーん、多少歳とっても直らないな、こういう性質は。

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